第一生命保険(相)『第一生命100年の歩み : すべては、お客さまと共に』(2002.04)

"矢野恒太"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
慶応元年(1865) 12月 ・矢野恒太生誕 当社事項
明治22年(1889) 12月 ・矢野恒太、第三高等中学校医学部(現岡山大学医学部)を卒業 当社事項
明治23年(1890) 1月 ・矢野恒太、日本生命に入社 当社事項
明治25年(1892) 12月 ・矢野恒太、日本生命を退社 当社事項
明治26年(1893) 11月 ・矢野恒太、『非射利主義生命保険会社の設立を望む』を自費出版 当社事項
- ・この年、矢野恒太、生命表(矢野氏第1表)を作成 当社事項
明治27年(1894) 4月 ・矢野恒太、共済生命保険合資会社支配役に就任 当社事項
明治28年(1895) 5月 ・矢野恒太、生命保険事業研究のため渡欧(12月より約1年間ゴータ生命にて保険事務を学ぶ) 当社事項
明治31年(1898) 6月 ・矢野恒太、共済生命を退社し農商務省に入省、保険業法を起草 当社事項
明治33年(1900) 5月 ・矢野恒太、農商務省初代保険課長に就任 当社事項
明治34年(1901) 12月 ・矢野恒太、農商務省を辞職 当社事項
12月 ・矢野恒太、「保険相互会社首唱之辞」を『中外商業新報』に発表 当社事項
明治35年(1902) 9月 ・15日に創立総会を開催、定款および約款を決議し社員総代・役員を選出。初代社長に柳沢保恵、専務取締役に矢野恒太が就任 当社事項
- ・この年、矢野恒太、生命表(矢野氏第2表)を作成 当社事項
大正4年(1915) 9月 ・矢野恒太、第2代社長に就任 当社事項
大正11年(1922) 3月 ・「第一相互貯蓄銀行」開業。矢野恒太、頭取に就任(昭和20年5月、9行合併により日本貯蓄銀行となる) 当社事項
昭和13年(1938) 11月 ・矢野恒太、初代会長に、石坂泰三、第3代社長に就任 当社事項
昭和21年(1946) 12月 ・会長矢野恒太、社長石坂泰三ほか辞任 当社事項
昭和26年(1951) 9月 ・矢野恒太逝去 当社事項
昭和28年(1953) 3月 ・「財団法人矢野恒太記念会」を設立 当社事項
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