日本通運(株)『社史』(1962.10)

"吉村甚兵衛"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治2年(1869) 1月 吉村甚兵衛、会計官より為替方頭取並を命ぜらる 通運業
明治3年(1870) 5月 吉村甚兵衛、開拓使御用達産物取扱方を命ぜらる 通運業
6月 吉村甚兵衛、開拓使御用達廻漕取扱方を命ぜらる 通運業
9月 吉村甚兵衛、奥州定飛脚を開く 通運業
明治4年(1871) 10月 吉村甚兵衛、東京商社副年番を命ぜらる 通運業
明治14年(1881) 8月 内国通運会社頭取吉村甚兵衛病気のため辞任し、副頭取佐々木荘助頭取に選任さる.副頭取は欠員 通運業
明治21年(1888) 4月 中央陸運会社、教科書運搬に従事す.内国通運会社、頭取を社長に、副頭取を副社長に改め、取締役を廃して協議委員をおく.2代吉村甚兵衛ほか協議委員となる 通運業
明治26年(1893) 6月20日 内国通運会社は臨時総会を開き112万円に減資す.定款を改正し社名を内国通運株式会社と改称す取締役に佐久間精一、籾山半三郎、吉村甚兵衛、監査役に今津覚太郎、浜口吉右衛門、稲延利兵衛、評議員に真中忠直、山中麟之助、岡本善七を選任し、取締役互選の結果、社長に佐久間精一を選任す 通運業
12月8日 内国通運会社、定式および臨時総会、役員を改選し取締役に佐久間精一、籾山半三郎、真中忠直、吉村甚兵衛、佐羽吉右衛門、監査役に今津覚太郎、稲延利兵衛、鈴木重恒、評議員に岡本善七、渡辺治右衛門、松本重太郎を各選任し、取締役互選の結果佐久間精一を社長に選任す 通運業
明治30年(1897) 10月24日 内国通運株式会社社長佐久間精一辞任、吉村甚兵衛就任 通運業
12月10日 内国通運会社定式総会、役員任期満了のため改選の結果、取締役に吉村甚兵衛、佐久間精一、日向野善太郎、真中忠直、監査役に今津覚太郎、鈴木重恒、水野九郎、評議員に岡本善七、籾山半三郎、松本重太郎をそれぞれ選任し、取締役互選の結果社長に吉村甚兵衛を選任す 通運業
明治31年(1898) 12月6日 内国通運会社定式総会、役員任期満了にともない.改選の結果取締役に吉村甚兵衛、佐久間精一、日向野善太郎、吉村佐平、監査役に鈴木重恒、水野九郎、平光茂兵衛、評議員に岡本善七、籾山半三郎、松本重太郎をそれぞれ選任し、取締役互選の結果吉村甚兵衛を社長に選任す 通運業
明治35年(1902) 12月6日 内国通運株式会社定式総会.役員改選の結果取締役吉村甚兵衛、佐久間精一、日向野善太郎、吉村佐平、平川濶亮および監査役鈴木重恒、水野九郎、平光茂兵衛重任 通運業
大正3年(1914) 6月1日 内国通運会社代表取締役吉村甚兵衛辞任す 通運業
8月12日 内国通運株式会社総会、吉村甚兵衛ら前任者の慰労金決定.加賀豊三郎取締役に就任、吉村佐平、平川濶亮は重任、三好栄次郎、秋山一裕退任 通運業
大正6年(1917) 1月25日 内国通運会社前社長吉村甚兵衛、牛込市ケ谷佐土原町1の3の自邸にて死去す、享年50 通運業
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