※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 日華事変おこる | [社会の動き] | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 重要鉱物増産法制定 | [社会の動き] | |
4月 | 国家総動員法制定 | [社会の動き] | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 鉱業法改正 | [社会の動き] | |
8月 | 帝国鉱業開発(株)設立される | [社会の動き] | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 社長藤田平太郎死去 | [同和の動き] | |
3月 | 藤田光一社長に就任 | [同和の動き] | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 社長藤川光一退任 | [同和の動き] | |
12月 | 鉱山統制会設立 | [社会の動き] | |
12月 | 太平洋戦争勃発(20年8月終結) | [社会の動き] | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 帝国鉱業開発(株)・東北興業(株)の資本参加により資本金を7,000万円とする | [同和の動き] | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 花岡堂屋敷選鉱場完成 | [同和の動き] | |
5月 | 芳川寛治社長に就任 | [同和の動き] | |
12月 | 社長芳川寛治退任 | [同和の動き] | |
12月 | 帝国鉱業開発(株)の経営下に入る | [同和の動き] | |
12月 | 古市六三社長に就任 | [同和の動き] | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 本店を東京都京橋区に移転 | [同和の動き] | |
4月 | 軍需会社に指定される | [同和の動き] | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 藤川家所有の(株)藤田組全株式の帝国鉱業開発(株)への肩替りに関する契約締結 | [同和の動き] | |
5月 | 社長古市六三退任 | [同和の動き] |