(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"三宅雪嶺"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) 11月3日 回顧30年感謝晩餐会開催―創業25周年(1937年)の折、岩波茂雄は恩顧をうけた人々を招いて感謝の会を催したい考えであったが、日華事変勃発後の騒然とした時勢に遠慮して果たさなかった。その後5年を経てこの年30周年を迎えたが、時局はますます悪化の一途をたどり、好転の見込みは全くなかった。しかし岩波は、もしこの機を逸すれば、自分をして今日あらしめてくれた恩人たち―生涯を回顧してその深い恩誼を想わずにはいられない人人―に対し、終に感謝の意を表することなくして終るであろうと考え、困難を排して感謝晩餐会を開くことにしたのである。会場は大東亜会館(東京会館)、来会者は約500人、岩波書店に深い関係のあった人々、岩波が少年時代から直接間接に教えをうけ尊敬を献げていた人々、および、いわゆる世間的地位は低くとも、渝わることなき親愛の念をもって長く交際をつづけて来た人々を選んで招待した。物資不足の折、宴会用の材料を集めるのにも一方ならない苦労があった。来会者は、三宅雪嶺・幸田露伴等の耆宿から、当時新進の学者に至るまで、わが国の学界及び思想界を代表する人々を殆んど網羅していたが、時流にそった評論家たちは、この会を指して“自由主義者最後の晩餐会”と評した。妨害者があらわれることを心配した人もあったが、幸いに異状なく会を進めることができた。岩波はこの席で自分の半生を語り、感謝の真情を吐露した。この日たまたま同時刻に同会館で情報局主催の大東亜文学者大会があったが、主要な人物の多くが岩波書店の会合の方へ出席して寂しかったといわれる。この晩餐会の記録は《図書》12月号に特集として掲載された。 岩波書店
12月5日 《図書》12月号、終刊号として発行―各出版社の月報類は日本出版文化協会発行の月報に吸収されることになったためである。やむをえぬ《図書》の廃刊を惜しむ読者の要望に対しては、希望者に毎月の発刊書目をはがきに印刷して知らせることになった。(翌年3月より実施)。//〔12月号内容〕表紙:ミレー〈種まき〉、解説:児島喜久雄。里見弴〈読書について〉、西田幾多郎〈明治二十四五年頃の東京文科大学選科〉、高村光太郎〈三十年〉(朗読のためのことば)。//特集〈回顧三十年感謝晩餐会記録〉内容〈回顧三十年感謝晩餐会の記〉〈あいさつ:岩波茂雄〉〈来賓あいさつ:三宅雪嶺・牧野伸顕・小泉信三・幸田露伴・明石照男・高村光太郎(詩朗読)・天野貞祐・安井てつ・藤原咲平〉〈来会者芳名〉〈付録・杉浦重剛先生に奉る書:岩波茂雄〉。 岩波書店
昭和42年(1967) 11月30日 三宅雪嶺《同時代史》全6巻復刊。 岩波書店
昭和54年(1979) 1月24日 三宅雪嶺《同時代史》全6巻復刊。(1985.12.4全6巻復刊)。 岩波書店
昭和60年(1985) 12月4日 三宅雪嶺著《同時代史》全6巻、限定復刊650部発行。 岩波書店
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