(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"仁科芳雄"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和3年(1928) 9月 仁科芳雄、クライン=仁科の式を発見、12月帰国して量子力学研究の中心となる。 内外事情
昭和6年(1931) 4月1日 雑誌《科学》創刊―編集主任:石原純。編集者:安藤広太郎・岡田武松・柴田桂太・寺田寅彦・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎。(後に大河内正敏・橋田邦彦・仁科芳雄の諸氏が参加)。自然科学の向上と普及とは、哲学の確立と並んで岩波茂雄の大きな関心事であったが、わが国にドイツのNaturwissenschaftやイギリスのNatureのような理論雑誌のないことが、久しくわが学界で遺憾とされていることを知って、この雑誌を創刊するに至った。型はNaturwissenschaftにならい、用紙には特別にすかせた、つやのないアート紙を用いた。定価35銭 岩波書店
昭和13年(1938) 12月10日 岩波講座第13次《物理学》刊行開始―全22巻。編集:岡田武松・寺沢寛一・仁科芳雄・石原純。(1941.1.24完結)。 岩波書店
昭和19年(1944) 5月1日 《科学》編集者変更―編集顧問:安藤広太郎・岡田武松・小泉丹・大河内正敏・柴田桂太・柴田雄次・坪井誠太郎・仁科芳雄・橋田邦彦、編集者:石原純(主任)・弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・富山小太郎・野口弥吉。 岩波書店
昭和20年(1945) 8月8日 ソ連、対日宣戦。仁科芳雄ら広島に到着し、投下された新型爆弾は原子爆弾と確認。 内外事情
昭和23年(1948) 12月12日 安倍能成・仁科芳雄・大内兵衛氏等の平和問題研究会総会開かる―明治記念会館にて。この年7月ユネスコは、アメリカのオルポート、ハンガリアのソロイ等8社会科学者の〈戦争をひきおこす緊迫の原因に関する声明〉を発表、《世界》編集部は東京と京都を中心とする50余人の社会科学者・自然科学者にこの声明の検討を依頼し、これらの諸氏は9月以降東西両地において7部会に分れて研究をつづけて、その結論をこの日もち寄り、この総会を開いた。議長:安倍能成氏、副議長:仁科芳雄・大内兵衛氏。この総会でまとめられた意見は声明として《世界》1949年3月号に発表された。後、この討議に参加した人々によって〈平和問題談話会〉が成立した。 岩波書店
昭和24年(1949) 9月14日 仁科芳雄、国際学術連合会に日本学術会議代表として出席(~16日)。(戦後初の国際会議正式出席)。 内外事情
昭和26年(1951) 1月30日 《スマイス原子爆弾の完成》(仁科芳雄監修)刊―原子力の開発に直接関係したスマイス氏が、その完成に至る技術的・行政的経過を記述した歴史的な公式記録、〈スマイス報告〉として国際的に著名であった。占領下の検閲で果して完訳が出版できるか否か、危ぶまれたが、仁科氏の尽力によって完訳のまま日本の読者に提供することができた。 岩波書店
4月1日 《科学》4月号(20周年記念号)―このとき現在の編集者:弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉。主任:富山小太郎。創刊以来の編集者:石原純+・岡田武松・柴田桂太+・寺田寅彦+・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎・安藤広太郎・末広恭二+・橋田邦彦+・大河内正敏・仁科芳雄+。(現存の方々は顧問)。 岩波書店
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