(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和2年(1927) 11月30日 《芥川竜之介全集》刊行開始―全8巻。編集同人:小穴隆一・谷崎潤一郎・恒藤恭・室生犀星・宇野浩二・久保田万太郎・久米正雄・小島政二郎・佐藤春夫・佐佐木茂索・菊池寛。装幀:小穴隆一(1929.2.28完結)。 岩波書店
昭和21年(1946) 3月7日 菊池寛、文芸春秋社解散の決意を表明、3月23日、佐佐木茂索を代表として文芸春秋新社創立。 出版界
昭和37年(1962) 5月 《世界》不売問題おこる―日本出版物小売業組合全国連合会(略称:小売全連)は、前年より仕入れ正味価格の引下げ運動を開始して、まず雑誌に関し出版元及び雑誌協会に交渉、すでに数カ月にわたって折衝が行われていた。雑誌協会は最後にこの要求を入れ、原則として2%の引下げを認めたが、その際、発行部数の少い学術雑誌・買切制による雑誌など特殊のものは例外とした。岩波書店は、《世界》その他発行の全雑誌が買切制によるものであり、返品の多い他の雑誌と同列に扱われることは納得しかねることであったので、小売全連の要求をいれなかったが、小売書店の実状に即して1%の引下げは妥当と考え、これを取次業者にはかって実行していた。小売全連は満足せず、あくまでも2%の引下げを要求し、容易に妥結を見るに至らなかったところ、たまたま東京都の一部の小売業者が同盟して《主婦の友》の不買を行ったという事例が発生した。商取引きの問題から発生したとはいえ、小売店の不買同盟という手段によって特定の雑誌・特定の出版社に対しこのように強力な圧迫を加え得るということは、言論・出版の自由にとって由々しい問題を孕んでいると考えられたが、すでにこのとき小売全連は全国の小売店を説得、要求貫徹のため不買同盟を実行するよう諒解を取りつけ、その圧力を背景にして交渉していることが判明したので、岩波書店としては、これが前例となって将来、言論・出版の自由にとって重大な禍根を残すに至ることを惧れ、絶対に譲歩し得ぬと決意し、交渉はついに決裂。小売全連は《世界》7月号の不買同盟実行を全国に指令した。しかし、小売全連の内部にも地方によってこの指令に承服しないものもあり、また、読者からの要求に押されて非公式に販売するものもあり、《世界》7月号は発売日6月6日にすでに発行部数の70%を売捌き、岩波書店としては殆んど打撃を受けなかった。6月20日に至り、小売全連は無条件に不買同盟を打切り、同時に日本雑誌協会理事長佐佐木茂索氏が調停に立ち、雑誌協会・取次協会・小売全連は3者連名で遺憾の意を表する声明を発表、22日、岩波書店も当事者の自省によって係争の解決を見たことを喜ぶ旨を声明し、事件は落着した。なお、《世界》8月号をもって創刊200号を迎えるのを機会に岩波書店は同誌の正味を1%引下げ、7.6掛けとすることにした。 岩波書店
6月6日 《世界》7月号発売、東京都出版物小売業協同組合員の多くの書店、不扱いの貼紙を掲げてボイコットを実施。8日、この件につき日本雑誌協会、日本出版物小売業組合全国連合会に対し意見書を提出。15日、日本書籍出版協会、不買の統一行動は黙視出来ないと声明。20日、佐佐木茂索(日本雑誌協会理事長)、調停にたち円満解決。全国連合会、統一行動を解き、次いで22日岩波書店、《世界》8月号からの正味引下げを発表。 出版界
昭和41年(1966) 12月1日 佐佐木茂索(文芸春秋社長・日本雑誌協会理事長・作家、1894.11.11―)歿。 出版界
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