(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正5年(1916) 10月16日 《生命の川》創刊。(12月号に倉田百三〈出家とその弟子〉発表)。 出版界
大正6年(1917) 6月10日 倉田百三《出家とその弟子》刊―著者はこの頃まだまったく無名で、かつ結核を患い明石に療養中であった。この本はその療養中の作。岩波は当時ある人に“全然無名の人ですが、読んで感心したので思い切って出した。境遇もまことに気の毒で印税は療養費の一端にもなろうかと思う。また無名の人を世に送るのは私の義務”であるといっている。 岩波書店
大正10年(1921) 3月23日 倉田百三《愛と認識との出発》刊―《出家とその弟子》につづいてこの本も爆発的な売れゆきを示した。本書の中に《善の研究》に関する一項があり、そのために《善の研究》の売れゆきも急激にふえた。 岩波書店
大正15年(1926) 5月1日 倉田百三編集《生活者》(生活者発行所)創刊。 出版界
11月 倉田百三《赤い霊魂》発禁―岩波書店発行図書として:最初の発禁処分であった。 岩波書店
1926年 - このころ店員は41人、編集の仕事は岩波自身を中心にごく少数の店員で運ばれ、しかも1年に100冊近い新刊書を出し、ほかに雑誌数種類を発行していたのである。出版書は概ねいわゆる堅い本であって、大部数の売行きを期待できないものであったが、それにもかかわらず岩波書店が堅実に成長していったのは、当時の出版事業が一般に現在と趣きを異にしていたからである。岩波書店の実例についていえば、大部分の出版物は初版1000部あるいは1500部のものであったが、中に哲学叢書や、倉田百三・西田幾多郎・鳩山秀夫氏等の著作の如くたえず増刷されるものがあって、それが高率の利益をもたらした。また漱石全集が岩波書店の経営に寄与したことも大きかった。なお従業員が少数で総じて経費が少くてすんだこと、また宣伝が非常に小規模であり、税率も低く、負担が軽かったこと―このような今日とは異なるいくつかの条件のために“出版業は利益を追及する仕事ではない”という理想主義の態度を持して、しかも経営を成長させてゆくことができたのである。 岩波書店
昭和8年(1933) 7月22日 赤松克麿・津久井竜雄・倉田百三ら、国民協会を結成、機関誌《国民運動》。 内外事情
昭和14年(1939) 11月27日 倉田百三・佐藤春夫・斎藤瀏ら経国文芸の会結成。 内外事情
昭和28年(1953) 2月 岩波文庫創刊以来の総刊行点数2000点、総発行部数約7500万冊となる―創刊以来25年、この間もっとも出品数の多かったもの10点をあげると次ぎの通りである。夏目漱石《坊つちやん》、島崎藤村《藤村詩抄》、夏目漱石《草枕》《こゝろ》、《古事記》、倉田百三《出家とその弟子》、島崎藤村《千曲川のスケッチ》、樋口一葉《にごりえ・たけくらべ》、徳冨蘆花《自然と人生》、ジイド《狭き門》―最近では年間を通じて出品部数の多いものが次ぎのように変ってきている。《日本唱歌集》、エンゲルス《空想より科学へ》、マルクス《共産党宣言》、《日本童謡集》、プラトン《ソクラテスの弁明》、西田幾多郎《善の研究》、夏目漱石《坊つちやん》、マルクス《賃労働と資本》、ブルフィンチ《ギリシア・ローマ神話》、ルソー《エミイル》。 岩波書店
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