(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和13年(1938) 9月20日 岩波新書の名称決定―前年日華事変がはじまったころから、新しい叢書を作ろうという計画があったが、この年に入って実行に決定、3~4月ごろから原稿を執筆者に依頼してあった。原稿用紙200枚を標準にして、全巻書きおろしを原則とした。〈現代人の世界的教養〉をモットーとし、当時の偏狭な国粋主義や、神がかり的な国家主義の跳梁に対して、世界的な視野と科学的な思考とを読書界に注入したいというのが編集の狙いであった。この年の夏休みにすでに20点近い原稿が集まり、9月に入って印刷にかかり、装幀も児島喜久雄氏に依頼してあった。判型はペリカンブックス、ペンギンブックスと同型で、最初は柔かな感じを出すため上辺もアンカットとした。(これは発売後まもなく改められて裁断することになった)。叢書の名前としては、いろいろな名称が提案されたが、結局、長田幹雄の案《岩波新書》に決定したのはこの日である。 岩波書店
昭和17年(1942) 12月5日 《図書》12月号、終刊号として発行―各出版社の月報類は日本出版文化協会発行の月報に吸収されることになったためである。やむをえぬ《図書》の廃刊を惜しむ読者の要望に対しては、希望者に毎月の発刊書目をはがきに印刷して知らせることになった。(翌年3月より実施)。//〔12月号内容〕表紙:ミレー〈種まき〉、解説:児島喜久雄。里見弴〈読書について〉、西田幾多郎〈明治二十四五年頃の東京文科大学選科〉、高村光太郎〈三十年〉(朗読のためのことば)。//特集〈回顧三十年感謝晩餐会記録〉内容〈回顧三十年感謝晩餐会の記〉〈あいさつ:岩波茂雄〉〈来賓あいさつ:三宅雪嶺・牧野伸顕・小泉信三・幸田露伴・明石照男・高村光太郎(詩朗読)・天野貞祐・安井てつ・藤原咲平〉〈来会者芳名〉〈付録・杉浦重剛先生に奉る書:岩波茂雄〉。 岩波書店
昭和23年(1948) 7月15日 《木下杢太郎全集》刊行開始―全12巻。編集:児島喜久雄・和辻哲郎・三輪福松・沢柳大五郎・曽根正蔵・河合正一・野田宇太郎。(1951.10.15完結)。 岩波書店
昭和24年(1949) 11月 《図書》11月号より復刊―用紙制限のため1942年12月号をもって休刊して以来7年ぶりの復刊である。表紙絵選択および解説は戦前と同じく児島喜久雄氏担当。購読料1ヵ年100円。 岩波書店
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