(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"勝本清一郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和10年(1935) 11月26日 日本ペンクラブ発会式、会長島崎藤村、副会長有島生馬・堀口大学、主事勝本清一郎。 内外事情
昭和25年(1950) 7月15日 《透谷全集》刊行開始―全3巻。編纂・校訂:勝本清一郎。編者の20年にわたる資料蒐集の苦心がみのり、全集編纂の事業において最も完璧に近い範例を示すものとして、高く評価された。(1955.9.10完結)。 岩波書店
昭和32年(1957) 8月 勝本清一郎編《透谷全集》編集著作権問題となる―この全集は、勝本清一郎氏の多年の研究・考証・資料探索の成果であって、校訂・編集そのものが独創的な業績をなしている。ところが、宝文館書店は《北村透谷選集》を発行するにあたり、勝本氏の許諾を得ず、この全集をそのまま踏襲、出版した。その第1巻の発行によって、その事実が確認されたので、岩波書店と勝本氏と連名、宝文館書店に抗議したが、同書店は、原作者北村透谷の死後30年を経過し、原作の著作権がすでに消滅しているという理由で、透谷の著作を自由に編纂・発行する権利があると主張して譲らなかった。よって、岩波書店と勝本氏とは法律家の鑑定を乞い、この全集に関しては原作の著作権とは別に、編集著作権を主張し得るという確信を得たので、さらに抗議をつづけた結果、著作権協議会の裁定を俟つことになり、8月初旬から下旬にかけて、同協議会で、両者それぞれの主張が弁論された。数回の審議の末、勝本氏の編集著作権が認められ、宝文館は陳謝して透谷選集の発行を廃棄した。この件は、編集著作権が確立された判例として大きな意味をもつものであった。 岩波書店
昭和36年(1961) 11月3日 遠山啓《数学入門》上・下(岩波新書)、柳田泉・勝本清一郎・猪野謙二編《座談会明治文学史》、第15回毎日出版文化賞受賞。 岩波書店
昭和43年(1968) 11月25日 《近代日本総合年表》刊―編集:勝本清一郎・西田長寿・江口朴郎・八杉竜一・山本二郎・遠山茂樹・丸山真男・隅谷三喜男・安藤良雄・星野芳郎・藤原彰・今井清一・内川芳美・山住正己・植手通有。この年表の企画が芽生えたのは1964年であった。岩波講座《日本歴史》1962年版の完結にともない、編集部は続く企画として日本の現代史を対象とすべく、その準備として既存の各種年表を用いて、明治以降の政治・経済から学芸・社会にわたる各部門を併記した100年間の年表を作成してみた。この試みを実際に行った結果、近・現代の日本の全体的な歴史像に近づくためには、多くの部門を見やすい形で併記し、それを縦横に一覧しうる〈総合年表〉がいかに必要であり、いかに有用であるかが実感として得られ、その編纂が始められた。以来3年余、編集委員・執筆者および協力者100名近くの方々による共同作業と、二百数十回に及ぶ討議を経て記載項目を3万余に圧縮選定し、それに典拠と索引を付して本年表の完成をみた。すなわちこの年表は、開国以来の日本の歴史(1853~1967)を、〈政治〉〈経済・産業・技術〉〈社会〉〈学術・教育・思想〉〈芸術〉〈国外〉の6部門に並立し、これによって同時代の全体像を一望のもとに収めうるものとなった。1984年5月には、その後の16年を増補した第二版が刊行された。 岩波書店
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