"周恩来"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和24年(1949) | 9月30日 | 中華人民共和国首席に毛沢東、総理に周恩来選出。 | 内外事情 |
昭和27年(1952) | 5月5日 | 中国周恩来首相、日本と国府との講和条約不承認を声明。 | 内外事情 |
8月17日 | 周恩来ら中国代表訪ソ、中ソ首脳会談を行う。 | 内外事情 | |
昭和28年(1953) | 3月30日 | 中国周恩来首相、休戦会談再開を提案。 | 内外事情 |
昭和29年(1954) | 11月5日 | 《世界》12月号特集〈日本の政治的独立のため〉発売―本号に掲載された〈周恩来会見記〉は、10月に中国を訪問した国会議員団と学術文化視察団とを迎えて周恩来首相が語った日中両国の関係についての基本的見解の紹介で、直接日本人に語りかけた最初の記録として、広く注目をあびた。 | 岩波書店 |
昭和32年(1957) | 1月8日 | モスクワで周恩来ら中国代表とソ連首脳の中ソ会談開く、18日、共同宣言調印。 | 内外事情 |
昭和34年(1959) | 9月16日 | 訪中の石橋前首相、周恩来首相と会見。(20日、共同声明)。 | 内外事情 |
昭和36年(1961) | 10月17日 | ソ連共産党22回大会ひらく、フルシチョフ、アルバニア勤労党を非難、周恩来中国首相、ソ連のアルバニア非難に反対演説。19日、党新綱領草案発表さる。 | 内外事情 |
昭和38年(1963) | 12月14日 | 周恩来・陳毅、アフリカ諸国を歴訪(~1964.2.4)。 | 内外事情 |
昭和40年(1965) | 6月19日 | アルジェリアでクーデター。ベンベラ大統領を逮捕。ブーメディエン陸軍参謀長、実権を握る。27日、カイロでナセル・周恩来会談(~30日)、アルジェで開催予定の第2回アジア・アフリカ会議延期を確認。 | 内外事情 |
昭和44年(1969) | 4月6日 | 古井喜実・宇都宮徳馬両自民党代議士、周恩来中国首相と会談。9日、帰国、佐藤首相の中国政策を批判。 | 内外事情 |
昭和45年(1970) | 4月5日 | 周恩来首相、北朝鮮を訪問、金日成首相と会談。9日、共同声明。日本軍国主義の復活を批判。 | 内外事情 |
4月19日 | 1970年日中覚書貿易調印(中国、沖縄返還交渉の日米共同声明を非難)。周恩来首相、松村謙三と会談。23日、佐藤首相、中国の内政干渉、軍国主義化は誤解と反論。 | 内外事情 | |
昭和46年(1971) | 4月10日 | 世界卓球選手権大会(名古屋)参加の米チーム、訪中。14日、周恩来首相と会見(ピンポン外交)。14日、アメリカ、対中国貿易制限を緩和。 | 内外事情 |
7月9日 | キッシンジャー米大統領補佐官、秘密裏に中国を訪問、周恩来首相と会談。15日、ニクソン訪中計画を発表。 | 内外事情 | |
10月30日 | 美濃部都知事、北朝鮮金日成首相と会談。11月10日、中国周恩来首相と会談。(周首相、都知事携行の保利自民党幹事長書簡につき、佐藤政権とは国交正常化の交渉はしないと言明、受取りを拒否)。 | 内外事情 | |
昭和47年(1972) | 9月25日 | 田中首相、中国へ出発。周恩来首相と会談、国交正常化の基本方針で合意。27日、毛沢東主席と会談。 | 内外事情 |
昭和51年(1976) | 1月8日 | 中国首相周恩来歿。 | 内外事情 |
4月5日 | 北京天安門広場で当局の周恩来追悼の花輪撤去に群衆抗議、軍警と衝突(天安門事件)。7日、華国鋒、首相・第1副主席に就任。鄧小平副主席、一切の公職解任。 | 内外事情 |
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