"和達清夫"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和2年(1927) | 6月 | 和達清夫、深発地震の存在を確認。 | 内外事情 |
昭和29年(1954) | 8月6日 | 岩波新書《死の灰》(武谷三男編)刊―この年の3月ビキニ水爆実験・第五福竜丸乗員の降下灰遭難があり、原水爆禁止運動が全国に擡頭、降下灰の問題が国民の関心の的となった。本書はこの問題に関する科学的究明の結果を国民一般に伝えるため、武谷氏を中心に和達清夫・中泉正徳氏等専門家7人の協力を組織し、灰のゆくえ・放射線病・放射能の危険・灰の分析などにつき、物理学・医学・気象学その他専門の立場からの結論を、国民の質疑に答える形で編集したもの。8月6日の原爆投下記念日にまにあわせるため殆ど不休の努力を続けて完成。発表後世界的に反響を呼んだ。 | 岩波書店 |
昭和30年(1955) | 11月20日 | 岩波写真文庫フォト・コンテストを行なう―写真文庫は順調に継続出版されていたが、発刊5周年を機会に、その記念を兼ねて全国に散在する多数のカメラマンとの結合をはかり、コンテストを行なった。同一の題目による応募写真から優秀な作品を選び、これを1冊の写真文庫とする計画で、この日が締切日であった。出題は《日本―1955年10月8日》。審査員:幸田文・和達清夫・南博・吉村公三郎・中野好夫・名取洋之助。応募者数:884人。応募写真総数:2817点。審査の結果、最優秀作3人(賞金2万円)、準優秀作10人(賞金1万円)が選ばれ、《図書》1956年2月号に発表。写真文庫は募集テーマを書名として1956年4月25日に発行された。 | 岩波書店 |
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