(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和7年(1932) 5月20日 《日本資本主義発達史講座》刊行開始―全7巻。編集:大塚金之助・野呂栄太郎・平野義太郎・山田盛太郎。明治維新による日本の近代国家の成立を、ブルジョア革命と規定するか、封建制最後の段階としての絶対主義の確立と規定するかは、この当時、無産階級運動を二つの陣営に大別するような見解の対立であった。この講座の執筆者は共通して後者の立場に立ち、その立場から明治維新とその後の日本資本主義の発達を解明し、〈講座派〉の名をもって呼ばれるに至った。これと対立する山川均氏等は雑誌《労農》を中心としてその主張を展開していたので〈労農派〉と呼ばれ、〈講座派〉対〈労農派〉の対立は、これ以後長く学界に論争の尾を引き太平洋戦争後に及んだ。平野義太郎氏の《日本資本主義社会の機構》(1934.4.20刊)や山田盛太郎氏の《日本資本主義分析》(1934.2.21刊)は、この講座の論文を増補して成った著作である。この講座の中心は野呂栄太郎氏であった。編集者を中心に執筆者が約半年にわたって討論をした後執筆にかかったことは、この講座ではじめて行われた異例のことであった。はじめの3巻までは検閲を無事通過したがそれ以後はほとんど全部発売禁止処分にあい、その改訂版が漸く読者の手にわたるという、はげしい干渉をうけた出版であった。(1933.8.26完結)。 岩波書店
昭和8年(1933) 1月10日 東京商大教授大塚金之助検挙さる。12日、河上肇検挙さる。 内外事情
昭和24年(1949) 4月5日 《岩波新書》青版として新しく出発―1938年に発刊された《岩波新書》は、太平洋洋戦争に入ると共に用紙統制を通じてきびしい圧迫を受け、1943年4月事実上休刊となって戦後に及んだが、出版事情の安定をまって1948年再出発の計画を立て、翌1949年4月に刊行を開始した。第1回の発売は、大塚金之助《解放思想史の人々》ほか7点。表紙のデザインは戦前と同じであったが、赤色を青色に改めたので、青版と呼ばれる。戦後の急変した内外の情勢に即しつつ、世界と日本との民主的文化の伝統を継承・発展し、自主的精神の確立に役立つことを方針とした。(1977年4月までに1000点刊行)。 岩波書店
昭和52年(1977) 5月9日 大塚金之助氏逝去。 岩波書店
昭和55年(1980) 5月23日 《大塚金之助著作集》刊行開始―全10巻。編集:細谷新治・良知力・津田内匠・都築忠七。著者50余年の学究生活の主要な著書・論文を年代とテーマに即して系統的に編集した。また未発表の論文・講義ノート・日記・書簡など、著者の精神史、同時代史の証言として不可欠の記録を収めた。(1981.11.25完結)。 岩波書店
昭和56年(1981) 11月25日 《大塚金之助著作集》全10巻完結。(第1回、1980.5.23)。 岩波書店
昭和57年(1982) 5月24日 《日本資本主義発達史講座》復刻―全7巻。編集:大塚金之助・野呂栄太郎・平野義太郎・山田盛太郎。1932年5月に刊行を開始し、日本の社会科学史上に特筆すべき業績といわれる本講座を、刊行50周年を記念して復刊。発売禁止によって伏字・削除処分を受けた第4・5・6・7回配本を無削除版として復元し、全巻、初版を底本として原型に戻した。なお研究資料として、新たに大石嘉一郎氏の解説を加えるとともに発刊時の内容見本、全巻の月報、岩波茂雄遺文等を集め、別冊付録とした。 岩波書店
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