(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和33年(1958) 1月27日 野上弥生子氏、《迷路》により、安倍能成氏、《岩波茂雄伝》により、それぞれ第9回読売文学賞受賞。 岩波書店
昭和36年(1961) 11月1日 《和辻哲郎全集》刊行開始―全20巻。編集:安倍能成・天野貞祐・谷川徹三・金子武蔵・古川哲史・中村元。全集ではあったが、著者の遺志により、学術研究や著作活動と直接関連なき書翰・日記・断片の類までも網羅するという、全集編纂に通常行われている方針を避け、生前の著書と大学における講義を主として編集された。なお、この全集版において、従前、旧カナで刊行されていた著作をすべで新カナに改める方針がとられたが、これは出版社からの提案によるものではなく、今日の若い読者に著者の労作を今後永く親しみやすいものにしておきたいという、遺族の希望と上記編集者の一致した賛成とによるものであった。(1963.6.14完結)。 岩波書店
昭和38年(1963) 3月25日 小林勇《惜櫟荘主人―一つの岩波茂雄伝》刊―さきに安倍能成氏の《岩波茂雄伝》が出版されていたが、著者小林勇は岩波茂雄の下で長く店務に従事し、創業後日なお浅き当時から歿年に至るまで、公私にわたって最も近い間柄にあったので、本書は前掲書とはおのずから異なった独自の伝記を成した。 岩波書店
昭和40年(1965) 5月28日 第16回定時株主総会開催―この期の売上高は前年に比し13%の上昇をみた。この期の特色は、重版点数が2216点と前期より約500点増加し、商品の回転率も著しく早くなったことである。これは営業所の建設に際し、倉庫のスペースが一時的に狭くなったため、また資金繰りの関係から、製作部数の抑制政策をとってきたことの結果である。この期に児童及び少年向きの書籍の売上げが著しく伸びたのは、この方面の出版活動が発足後15年を経て、ようやくその真価が一般に認められたことによる。配当1割2分。取締役吉野源三郎・芹沢孝三郎退任し、中山武雄・玉井乾介取締役に新任。監査役任期満了につき改選。安倍能成退任し、曽志崎誠二重任、種田孝一新任。取締役会における互選の結果、専務取締役に長田幹雄、常務取締役に長村忠それぞれ新任、その他重任。//吉野源三郎編集顧問に就任。 岩波書店
昭和41年(1966) 6月7日 安倍能成氏逝去―安倍能成氏は岩波茂雄の終生の友として、また戦後も小社と最も関係の深い方であった。1949年4月、株式会社に改組して以来、監査役として、また1年前からは相談役として、お力添をうけた。《図書》7月号は急遽予定を変更して、安倍先生追悼特集号とした。 岩波書店
昭和57年(1982) 1月8日 《鈴木三重吉全集》復刊開始―全6巻新輯別巻1。編集:安倍能成・森田草平・小宮豊隆・青木健作・坪田譲治・小山東一。本全集はその純文学の面における文業のすべてを収め、1938年3月から全6巻として刊行されたが、今回の復刊にあたり、当時種々の状況から発表しえなかった書簡および新発見の700余通を、別巻《書簡集補遺》とした。(1982.7.23完結)。 岩波書店
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