(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 6月1日 小泉信三《社会問題研究》刊―なおこの年4月河合栄治郎の《労働問題研究》および河上肇《近世経済思想史論》が刊行され、7月にはポール・ピック《労働争議》が出版されている。当時この方面の問題が活溌に論議されるようになった反映と思われる。 岩波書店
大正15年(1926) 5月25日 《経済学古典叢書》刊行開始―小泉信三・高橋誠一郎氏ら慶応義塾関係の経済学者によって計画された叢書。(1930年9月25日までに7冊刊行)。 岩波書店
昭和15年(1940) 11月2日 風樹会設立―岩波茂雄は、かねて国家の政策および社会の風潮が共に基礎科学の研究を重要視せず、その奨励のおくれていることを憂えていたが、とくに日華事変が始まって以来、世をあげて目前の時務にのみ没頭し、この傾向がいっそう激しくなったことに対して、深い遺憾の念を抱いていた。事変に伴う各種の寄付の要請に対しては、これを峻拒しつづけて来たが、このときに至って、独力で基礎科学の奨励に力を致そうと決意し、自己の所持金の殆んど全額にあたる100万円を投じて財団法人風樹会を設立した。財団の目的は哲学・物理・数学等基礎科学の研究に従事する有為な若い学者の生活を助けることにあった。風樹会と名づけたのは、岩波が早く父母を失い、年を追って風樹の嘆きを深くしていたことによる。役員は理事長:西田幾多郎、理事:岡田武松・高木貞治・田辺元・小泉信三、監事:明石照男の諸氏であった。その運営については、事が学問に関するからといって、岩波はいっさいこれに関与しないことを方針とした。この財団は、戦時中に多くの学者に生活費を支給し研究に専念する便宜を提供することができたが、戦争によって財政上の大打撃を受け、従前の機能を発揮することが困難となった。岩波茂雄の死後、岩波家および岩波書店はこの財団の復興をはかり、現在は再び多くの学者に援助することができるようになった。なお設立にあたり、11月2日全店員にも臨時給与を支出し、祝賀の会を催した。 岩波書店
昭和17年(1942) 12月5日 《図書》12月号、終刊号として発行―各出版社の月報類は日本出版文化協会発行の月報に吸収されることになったためである。やむをえぬ《図書》の廃刊を惜しむ読者の要望に対しては、希望者に毎月の発刊書目をはがきに印刷して知らせることになった。(翌年3月より実施)。//〔12月号内容〕表紙:ミレー〈種まき〉、解説:児島喜久雄。里見弴〈読書について〉、西田幾多郎〈明治二十四五年頃の東京文科大学選科〉、高村光太郎〈三十年〉(朗読のためのことば)。//特集〈回顧三十年感謝晩餐会記録〉内容〈回顧三十年感謝晩餐会の記〉〈あいさつ:岩波茂雄〉〈来賓あいさつ:三宅雪嶺・牧野伸顕・小泉信三・幸田露伴・明石照男・高村光太郎(詩朗読)・天野貞祐・安井てつ・藤原咲平〉〈来会者芳名〉〈付録・杉浦重剛先生に奉る書:岩波茂雄〉。 岩波書店
昭和26年(1951) 5月1日 《福沢諭吉選集》刊行開始―全8巻。監修:小泉信三。編集:富田正文・土橋俊一。福沢先生の思想を系統的に理解しうるように、主要テーマによって巻別を分ち、各巻ごとに、それぞれの題目に関連ある代表的著作(既刊の正続両全集所収のもの)を集め、これに若干の新資料を加えて8巻とした。また、7人の福沢研究家に依頼して各巻の解題を付し、文献に関しても比較的詳細な解説を加えた。この選集に先きだち、岩波書店は福沢先生ほどの思想家について未だに完全な全集が存在せず、打捨てられていることを遺憾とし、戦後の事業としてぜひ完全な全集を刊行したいと願って、終戦後まもなく小泉信三氏に御相談したが、当時の事情では編纂・校訂だけでもなお幾年かの準備を必要とし、かつ製作・出版に関しても容易ならぬ困難が予想されたので、とりあえず富田正文・土橋俊一氏を中心に編纂・校訂の事業だけを進め、刊行は一応他日を期することとし、その編集事業の準備をも兼ねて、まずこの選集の刊行に着手したのである。したがって、この選集の印税と利益とを挙げてこの準備事業に献げる方針で原価計算を行ない、定価を定めた。(1952.11.15完結)。 岩波書店
昭和28年(1953) 4月 岩波文庫創刊25年記念として、この月間に、次ぎの諸行事が行われた。//▲全国の小・中・高校および図書館へ抽選により10万冊の文庫進呈―締切りまでに2万余の申込みがあった。A組...岩波文庫600選1揃全69組、B組...岩波少年文庫・写真文庫各1揃全207組、C組...B組のうちいずれか1揃全414組。//▲文庫卸値正味5分引き販売。//▲小冊子《古典の読みかた》刊―文庫判126頁、非売品。30万部を全国の小売店を通じて読者へ贈呈。執筆者:小泉信三・清水幾太郎・大内兵衛・高木市之助・桑原武夫・吉川幸次郎・河盛好蔵。//▲記念パーティー開催―4月11日、東京会館にて、岩波書店創業40周年記念をも兼ねて著訳者を中心に関係者を招待、約400人来会、4月28日夜、京都、都ホテル、100人来会。//▲岩波文庫の夕―4月18日夜共立講堂にて開催、小売店・印刷所・製本所関係者・社員およびその家族を招待。//▲記念講演会―4月18日午後1時、神田共立講堂にて開催。講師:野上弥生子・都留重人・吉川幸次郎・萩原雄祐。朗読:山本安英。4月30日午後6時、大阪産経会館にて開催。講師:安倍能成・恒藤恭・菊池正士・中野好夫・清水幾太郎。//▲《文庫》4月号特集〈岩波文庫創刊25年記念〉発行。//▲社内パーティー開催―4月24日、会社創立記念日の祝賀を兼ねて。 岩波書店
昭和31年(1956) 4月23日 風樹会館落成―文京区小石川町にある財団法人風樹会所有の土地に新たに小規模の会館を建て、岩波書店からこれを風樹会に寄付したもの。この日落成披露会が行なわれ、小泉信三理事ほか50人来会。爾後、この会館は、各種の学会・研究団体その他研究者の会合に使用されることになった。 岩波書店
昭和33年(1958) 12月1日 《福沢諭吉全集》刊行開始―全21巻。監修:小泉信三。編集:富田正文・土橋俊一。福沢先生の全集が不完全のままに置かれていることを遺憾とし、その完全な全集を刊行したいとは、戦後直ちに思いたった計画の一つであったが、当時まだその条件が熟さず、止むなく富田正文氏を中心とする校訂・編集の事業に協力することとし、その目的を兼ねて《福沢諭吉選集》を刊行した。(1951年5月1日の項参照)。その後、富田氏の編纂事業は慶応義塾に継承され、資料も同大学図書館に所蔵されていた。1958年が同塾創立100年にあたり、その記念事業として福沢先生の全集の刊行が具体化するに及び、改めてその発行が岩波書店に托され、岩波書店としてもここに積年の希望を達成し得ることになった。校訂・解題は富田正文・土橋俊一両氏の努力の結実であり、装幀・印刷・造本において、岩波書店も最大の努力を注いだ。(1964.2.20完結)。 岩波書店
昭和39年(1964) 2月20日 《福沢諭吉全集》全21巻完結。(第1回、1958.12.1)―慶応義塾創立100年にあたる1958年刊行を開始した本全集が完結した。監修者の小泉信三氏の文章の中に次の一節がある。〈刊行遅延の主なる原因は、本全集に採録せらるべき新資料の発見が意外の多量に上つた一事である。福沢の死後六十年にしてなほかく予想外に多くの未知資料が本全集に加へられたことは当事者として大きい喜びではあつたが、他面、当初の予想の十分周密でなかつたことに対しては不明の譏りを甘んじて受けねばならぬ〉。しかし新資料の探索は本全集完結後もつづけられ、のち1969年10月開始された第2次刊行にあたっては、全21巻に加え別巻1冊を追加することとなった。 岩波書店
昭和41年(1966) 5月11日 小泉信三氏逝去。 岩波書店
昭和47年(1972) 10月30日 文芸春秋《小泉信三全集》(全27巻)刊行開始。 出版界
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