"山本有三"が書かれている年表項目はハイライトされています。
- 1
表示切替
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正13年(1924) | 1月1日 | 新潮社《演劇新潮》(山本有三主宰)創刊。(1925.6.廃刊)。 | 出版界 |
昭和14年(1939) | 11月10日 | 《山本有三全集》刊行開始―全10巻。(1941.2.26完結)。 | 岩波書店 |
昭和15年(1940) | 7月 | 山本有三、2年来《主婦之友》に連載の《新篇・路傍の石》を自発的に中止、8日、〈ペンを折る〉と声明。 | 出版界 |
昭和16年(1941) | 2月26日 | 《山本有三全集》全10巻完結。(第1回、1939.11.10)。 | 岩波書店 |
昭和22年(1947) | 6月 | 新潮社《山本有三文庫》(全11巻)刊行開始。 | 出版界 |
昭和54年(1979) | 3月6日 | 第1回山本有三記念〈路傍の石〉文学賞=灰谷健次郎(《兎の眼》《太陽の子》などの著書に対して)。 | 出版界 |
昭和56年(1981) | 5月23日 | 吉野源三郎歿―吉野は1937年8月岩波書店に入店した。1925年東大哲学科を卒業、三省堂をへて東大図書館に勤め、山本有三の推輓をえて新潮社発行の《日本少国民文庫》の編集主任となり、名著《君たちはどう生きるか》を執筆。明治大学文芸科の教授となるなど、さまざまな経験をへた後の入店であった。戦前は1938年の《岩波新書》創刊に参画したが、戦後は雑誌《世界》の創刊時に編集長となり、1949年岩波書店が株式会社に改組した際に編集担当役員、1951年常務取締役に就任、1965年辞任後も編集顧問として、戦後の岩波書店の編集活動の中心的役割を果した。 | 岩波書店 |
- 1