(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"岡田武"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和6年(1931) 2月20日 岩波講座第4次《地質学及び古生物学、砿物学及び岩石学、地理学》刊行開始―全33巻。〈地質学及び古生物学、砿物学及び岩石学〉、編集:小川琢治・矢部長克・神津俶祐・中村新太郎・加藤武夫。〈地理学〉、編集:小川琢治・岡田武松・石橋五郎・辻村太郎。(1934.6.1完結)。 岩波書店
4月1日 雑誌《科学》創刊―編集主任:石原純。編集者:安藤広太郎・岡田武松・柴田桂太・寺田寅彦・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎。(後に大河内正敏・橋田邦彦・仁科芳雄の諸氏が参加)。自然科学の向上と普及とは、哲学の確立と並んで岩波茂雄の大きな関心事であったが、わが国にドイツのNaturwissenschaftやイギリスのNatureのような理論雑誌のないことが、久しくわが学界で遺憾とされていることを知って、この雑誌を創刊するに至った。型はNaturwissenschaftにならい、用紙には特別にすかせた、つやのないアート紙を用いた。定価35銭 岩波書店
昭和10年(1935) 3月5日 普及講座《防災科学》刊行開始―全6巻。監修者:安藤広太郎・岡田武松・大河内正敏・小泉丹・柴田雄次・寺田寅彦・中村清二。はじめ気象学に関する講座を計画したのであるが、気象台長岡田武松氏の意見によって、災害一般についての講座になった。これを岩波講座としなかった理由は、内容が平易啓蒙的なものであることによる。岩波講座は大学の講座を解放するという趣旨からはじまったので、この講座はそれと区別して普及講座と名づけた。普及講座はこれ以外に計画されなかった。(1936.10.30完結) 岩波書店
4月15日 《理化学辞典》刊―編集顧問:岡田武松・寺田寅彦・柴田雄次。編集:石原純・井上敏・玉虫文一。項目数13,580。自然科学の辞典としては画期的な辞典と認められ、爾来、数次の増補・改訂を重ねながら、現在なお、この種の辞典として他の追随を許さない権威を保っている。戦時中、岩波の出版物に対して種々の強圧が加えられた際にも、この辞典のみは軍の諸研究所の必要品として特別な注文を受けた。 岩波書店
昭和13年(1938) 12月10日 岩波講座第13次《物理学》刊行開始―全22巻。編集:岡田武松・寺沢寛一・仁科芳雄・石原純。(1941.1.24完結)。 岩波書店
昭和15年(1940) 11月2日 風樹会設立―岩波茂雄は、かねて国家の政策および社会の風潮が共に基礎科学の研究を重要視せず、その奨励のおくれていることを憂えていたが、とくに日華事変が始まって以来、世をあげて目前の時務にのみ没頭し、この傾向がいっそう激しくなったことに対して、深い遺憾の念を抱いていた。事変に伴う各種の寄付の要請に対しては、これを峻拒しつづけて来たが、このときに至って、独力で基礎科学の奨励に力を致そうと決意し、自己の所持金の殆んど全額にあたる100万円を投じて財団法人風樹会を設立した。財団の目的は哲学・物理・数学等基礎科学の研究に従事する有為な若い学者の生活を助けることにあった。風樹会と名づけたのは、岩波が早く父母を失い、年を追って風樹の嘆きを深くしていたことによる。役員は理事長:西田幾多郎、理事:岡田武松・高木貞治・田辺元・小泉信三、監事:明石照男の諸氏であった。その運営については、事が学問に関するからといって、岩波はいっさいこれに関与しないことを方針とした。この財団は、戦時中に多くの学者に生活費を支給し研究に専念する便宜を提供することができたが、戦争によって財政上の大打撃を受け、従前の機能を発揮することが困難となった。岩波茂雄の死後、岩波家および岩波書店はこの財団の復興をはかり、現在は再び多くの学者に援助することができるようになった。なお設立にあたり、11月2日全店員にも臨時給与を支出し、祝賀の会を催した。 岩波書店
昭和19年(1944) 5月1日 《科学》編集者変更―編集顧問:安藤広太郎・岡田武松・小泉丹・大河内正敏・柴田桂太・柴田雄次・坪井誠太郎・仁科芳雄・橋田邦彦、編集者:石原純(主任)・弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・富山小太郎・野口弥吉。 岩波書店
昭和26年(1951) 4月1日 《科学》4月号(20周年記念号)―このとき現在の編集者:弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉。主任:富山小太郎。創刊以来の編集者:石原純+・岡田武松・柴田桂太+・寺田寅彦+・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎・安藤広太郎・末広恭二+・橋田邦彦+・大河内正敏・仁科芳雄+。(現存の方々は顧問)。 岩波書店
PAGE TOP