(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) 2月15日 末川博編《岩波六法全書》刊―爾来1932年より1943年まで、毎年新法令の増補、法律改正等による改訂を施し、各××年版として刊行を続け、1944~1946年は戦争のため中絶、戦後1947年復刊。この六法全書は事項索引・参照条文を付したものとしては本邦最初のもの、その特色によって広く歓迎されたが、まもなく他社出版の六法全書もこれに倣うようになり、今日では六法全書一般に普及した。 岩波書店
昭和10年(1935) 1月1日 弘文堂書房《民商法雑誌》(竹田省・末川博編集)、三省堂《民族学研究)日本民族学会機関紙、季刊)創刊。 出版界
昭和28年(1953) 9月21日 《日本資本主義講座》刊行開始―全10巻、別巻1。副題:戦後日本の政治と経済。監修者:(代表)大河内一男・小椋広勝・近藤康男・清水幾太郎・末川博・羽仁五郎。編集者:(代表)戒能通孝・島恭彦・遠山茂樹・井上清・井上晴丸・宇佐美誠次郎。さきに1932年《日本資本主義発達史講座》が刊行されてまもなく日本は準戦時体制に入り、つづいて太平洋戦争に突入し、日本の資本主義に関する科学的研究―特にマルクス主義の方法による研究―は全く発表の自由をもたず敗戦に至ったが、戦後8年、前記の講座から数えて21年を経過し、その間に経済史・政治史・国史等の各分野において、日本資本主義に関する多くの研究成果が蓄積されて、研究の進歩はもはや前記講座の頃と同日に論ずることができなくなっていた。また、敗戦による打撃と戦後の諸改革を経たのち、この当時著しい復興の途上にあった日本の資本主義自身にも、新たな研究を必要とする問題が簇生しており、中でも対米従属の問題はとくに鋭く問題とされていた。日本の資本主義を総合的に再検討することは、当時学問的にも必要とされ、労働運動や政治運動の立場からも緊急の必要となっていた。たまたま、本講座の編集者となった社会科学者の間で、《日本資本主義発達史講座》を新たに編纂し書直そうという計画が熟し、幕末・維新から戦後までを含む厖大な計画が立案され、岩波書店へその出版について申し込みがあった。岩波書店編集部は、この計画のうち未開拓の戦後の時期についてまず着手することを提案し、この提案が入れられて、〈戦後日本の政治と経済〉という副題をもつ本講座が成立することになった。執筆者には、最初、〈講座派〉〈労農派〉の対立を超えて、広く多方面からの参加を求める予定であったが、これは種々の事情から実現せず、旧講座派の流れを汲む学者が多数となった。しかし、講座派以外の学者も相当数協力、総勢では約200人の集団労作となった。発行と共に大きな売行きを示し、講座形式の出版としては群を抜いた成績であった。(1955.2.15完結)。 岩波書店
昭和36年(1961) 12月16日 《岩波基本六法》昭和37年版刊―1930年、最初の末川博編《岩波六法全書》が刊行されたとき、はじめて参照条文・事項索引を付し、独創的な六法全書と称されて圧倒的に多数の読者を得たが、その後とくに戦後に至り、各社ともこの工夫を採用し、二、三の有力な出版社の発行する六法全書はほとんど類似のものとなって、競争は内容によるよりも、むしろ価格の低廉や売込み方法に重点を移すに至り、他の商品に往々に見る過当競争の傾向を示して来た。この傾向を深く遺憾として、使用者のために役立ちつつ出版物としての独創性を生み出す途はないかと苦心の結果、現行法の理解や解釈にあたって、参照を必要とする旧法令および外国の法令・条約等を選択収録することとし、これによって在来の六法全書とは面目を一新した〈基本六法〉を創り出した。同時に判型もB6判に改め、従来しばしば不便を訴えられていた細字を大きく読みやすいものとした。発売後、直ちに数次の増刷を必要としたほど、多数の読者から歓迎された。 岩波書店
昭和41年(1966) 8月 桑原武夫・末川博・江口朴郎ら学者・文化人884人、2月11日を〈建国記念日〉とすることに反対声明・9月17日、紀元節復活反対国民集会。 内外事情
昭和44年(1969) 5月10日 《岩波六法全書》40周年記念の会―京都中村楼にて、末川博氏はじめ参会者17名。翌11日に京都法然院にて行われた末川氏を中心に安倍恕・大江保直・山木戸克己・佐伯千仭・芦部信喜・鮫島真男・鵜飼信成・吉野源三郎の各氏による座談会記録は、〈法律面から見た昭和史―《岩波六法全書》40周年に際して〉の表題で《図書》11・12月号に掲載された。 岩波書店
昭和45年(1970) 3月30日 《末川博法律論文集》刊行開始―全4巻。氏が半世紀におよぶ研究生活の中で執筆された法学論文を集成して、《法と契約》《権利侵害と権利濫用》《債権》《物権・親族・相続》の4巻にまとめた。(1970.11.30完結)。 岩波書店
昭和52年(1977) 2月16日 末川博氏逝去。《岩波六法全書》は、創刊以来、末川氏が編集の責任に当ってこられたが、歿後は岩波書店が編集責任を負うこととなった。 岩波書店
昭和57年(1982) 1月25日 《河上肇全集》第I期刊行開始―全28巻。監修:末川博。顧問:寿岳文章・天野敬太郎。編集:杉原四郎・大野英二・住谷一彦・平井俊彦・一海知義・松尾尊兊・山之内靖。編集協力:内藤昭子。河上肇は、経済学をとおして日本の社会科学の基礎を築くとともに、時代と深くかかわりながら模索と脱皮を重ねた思想家でもあった。青年期の時論にはじまり、晩年の長編随筆に至る全著作を網羅し、詩歌・日記・書簡を収録する全集の編纂はこれが初めてである。本全集の計画は当初、筑摩書房によって企画されたが、1978年7月、同書房の不幸な事態によって計画は頓挫するかにみえたが、同書房ならびに全集編纂関係者から、この全集計画継続についての強い要請がなされた。岩波書店は本全集刊行の意義を重視して、この申入れを受入れた。以後数年の歳月をかけて資料の新たな蒐集、厳密な校訂作業を編集の諸氏にねがい、ようやく刊行の日を迎えた。(1984.9.28完結)。 岩波書店
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