(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和4年(1929) 6月10日 岩波講座第2次《物理学及び化学》刊行開始―全24巻。編集:寺田寅彦・柴田雄次・石原純。(1931.7.30完結)。 岩波書店
昭和6年(1931) 4月1日 雑誌《科学》創刊―編集主任:石原純。編集者:安藤広太郎・岡田武松・柴田桂太・寺田寅彦・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎。(後に大河内正敏・橋田邦彦・仁科芳雄の諸氏が参加)。自然科学の向上と普及とは、哲学の確立と並んで岩波茂雄の大きな関心事であったが、わが国にドイツのNaturwissenschaftやイギリスのNatureのような理論雑誌のないことが、久しくわが学界で遺憾とされていることを知って、この雑誌を創刊するに至った。型はNaturwissenschaftにならい、用紙には特別にすかせた、つやのないアート紙を用いた。定価35銭 岩波書店
昭和10年(1935) 3月5日 普及講座《防災科学》刊行開始―全6巻。監修者:安藤広太郎・岡田武松・大河内正敏・小泉丹・柴田雄次・寺田寅彦・中村清二。はじめ気象学に関する講座を計画したのであるが、気象台長岡田武松氏の意見によって、災害一般についての講座になった。これを岩波講座としなかった理由は、内容が平易啓蒙的なものであることによる。岩波講座は大学の講座を解放するという趣旨からはじまったので、この講座はそれと区別して普及講座と名づけた。普及講座はこれ以外に計画されなかった。(1936.10.30完結) 岩波書店
4月15日 《理化学辞典》刊―編集顧問:岡田武松・寺田寅彦・柴田雄次。編集:石原純・井上敏・玉虫文一。項目数13,580。自然科学の辞典としては画期的な辞典と認められ、爾来、数次の増補・改訂を重ねながら、現在なお、この種の辞典として他の追随を許さない権威を保っている。戦時中、岩波の出版物に対して種々の強圧が加えられた際にも、この辞典のみは軍の諸研究所の必要品として特別な注文を受けた。 岩波書店
昭和19年(1944) 5月1日 《科学》編集者変更―編集顧問:安藤広太郎・岡田武松・小泉丹・大河内正敏・柴田桂太・柴田雄次・坪井誠太郎・仁科芳雄・橋田邦彦、編集者:石原純(主任)・弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・富山小太郎・野口弥吉。 岩波書店
昭和26年(1951) 4月1日 《科学》4月号(20周年記念号)―このとき現在の編集者:弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉。主任:富山小太郎。創刊以来の編集者:石原純+・岡田武松・柴田桂太+・寺田寅彦+・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎・安藤広太郎・末広恭二+・橋田邦彦+・大河内正敏・仁科芳雄+。(現存の方々は顧問)。 岩波書店
昭和38年(1963) 4月1日 《科学》4月号特集〈分子生物学〉発行―この号から顧問:柴田雄次・坪井誠太郎、編集顧問;弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉・富山小太郎の諸氏となる。編集の実務は従来の方針に従い、上記顧問の指導を仰ぎながら、各方面専門家の意見を広く伺い、岩波書店編集部の責任で取り運ぶことになった。 岩波書店
昭和55年(1980) 1月28日 柴田雄次氏逝去。 岩波書店
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