(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正6年(1917) 9月 《漱石全集》の予約募集を発表―全12巻。(刊行途中第13巻と別冊が計画に加わり全14巻となる)。編集顧問:狩野亨吉・大塚保治・中村是公。編集者:寺田寅彦・松根東洋城・阿部次郎・鈴木三重吉・野上豊一郎・安倍能成・森田草平・小宮豊隆。刊行のスローガンに“日本が生める世界的文豪を永久に記念すべき一大金字塔”“芸術は永く、人生は短し”の二つを使った。著者の生前にその著作を発行した書店との関係を考慮して岩波書店内に漱石全集刊行会を置き、岩波茂雄が代表者になった。 岩波書店
大正13年(1924) 6月5日 第3次《漱石全集》刊行開始―全14巻。第1次の漱石全集は主として森田草平・鈴木三重吉両氏によって編纂されたが、第2次に至って小宮豊隆氏が編纂に当り、その機会に編纂方針が根本的に検討された。第3次以後もほとんど小宮豊隆氏の独力で編纂がつづけられた。この第3次の刊行にあたっては、すでに前2回の全集によって資料はほぼ蒐集しつくされていると考えられていたのであったが、とりかかってみると依然として新しい資料が次ぎ次ぎに発見された。漱石全集は後に日本の個人全集の規範と見なされるに至ったが、その確固たる基礎を作ったのは、この第3次の編纂であった。(1925.7.5完結)。 岩波書店
昭和13年(1938) 3月20日 《鈴木三重吉全集》刊行開始―全6巻。編集:安倍能成・森田草平・小宮豊隆・青木健作・坪田譲治・小山東一。(1938.12.24完結)。 岩波書店
昭和57年(1982) 1月8日 《鈴木三重吉全集》復刊開始―全6巻新輯別巻1。編集:安倍能成・森田草平・小宮豊隆・青木健作・坪田譲治・小山東一。本全集はその純文学の面における文業のすべてを収め、1938年3月から全6巻として刊行されたが、今回の復刊にあたり、当時種々の状況から発表しえなかった書簡および新発見の700余通を、別巻《書簡集補遺》とした。(1982.7.23完結)。 岩波書店
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