(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"橋口五葉"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正7年(1918) 5月23日 広重画《保永堂板東海道五十三次》の予約開始―木版刷、全60枚。編纂監督:橋口五葉。毎回5枚ずつ発行し、1919年4月完結した。編者橋口五葉氏はその兄橋口貢氏とともに夏目漱石氏の知遇をえた人、《吾輩は猫である》等の装幀はこの人の手に成った。 岩波書店
昭和8年(1933) 12月10日 従来岩波書店のマークは、橋口五葉の描いた〈かめ〉〓[マーク]を使用していたが、このときからミレーの〈種まき〉による〓[マーク]ものを使用することになり、岩波全書に最初に実施された。単行本としては翌年2月5日発行の橋田邦彦《碧潭集》から使用された。岩波茂雄はこのことについて次のように記している。“私が元来百姓であって、労働は神聖なりという感じを特に豊富に持っており、従って晴耕雨読の田園生活がすきであるという関係もあり、詩聖ウォーズウォースの〈低く暮らし、高く思う〉を店の精神としたいためです。なお文化の種を蒔くというようなことに思い及んでくれる人があれば一層ありがたい。” 岩波書店
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