(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"石原純"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - この年、石原純、相対性原理の研究で学士院恩賜賞をうける。 内外事情
大正10年(1921) 7月 東北大学理学部教授石原純氏が原阿佐緒氏との恋愛事件によって辞職し、以後岩波書店の出版に長く関係されることになった。 岩波書店
12月25日 《科学叢書》(1933年3月15日までに8冊刊行)、《通俗科学叢書》(1935年10月5日までに9冊刊行)刊行開始―当時岩波茂雄は科学知識と科学的思考法の乏しいことに日本の欠陥があると考え、《哲学叢書》につづいて直ちに科学の向上と普及とを目的とする出版を思いたったが、5年後漸く寺田寅彦・石原純両氏の編纂にかかわるこの叢書を発刊するに至った。 岩波書店
昭和4年(1929) 6月10日 岩波講座第2次《物理学及び化学》刊行開始―全24巻。編集:寺田寅彦・柴田雄次・石原純。(1931.7.30完結)。 岩波書店
昭和6年(1931) 4月1日 雑誌《科学》創刊―編集主任:石原純。編集者:安藤広太郎・岡田武松・柴田桂太・寺田寅彦・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎。(後に大河内正敏・橋田邦彦・仁科芳雄の諸氏が参加)。自然科学の向上と普及とは、哲学の確立と並んで岩波茂雄の大きな関心事であったが、わが国にドイツのNaturwissenschaftやイギリスのNatureのような理論雑誌のないことが、久しくわが学界で遺憾とされていることを知って、この雑誌を創刊するに至った。型はNaturwissenschaftにならい、用紙には特別にすかせた、つやのないアート紙を用いた。定価35銭 岩波書店
昭和7年(1932) 12月15日 《岩波西洋人名辞典》刊―編集:亀井高孝・野上豊一郎・石原純。項目14,000。準備期間3ヵ年を経て出版。 岩波書店
昭和10年(1935) 4月15日 《理化学辞典》刊―編集顧問:岡田武松・寺田寅彦・柴田雄次。編集:石原純・井上敏・玉虫文一。項目数13,580。自然科学の辞典としては画期的な辞典と認められ、爾来、数次の増補・改訂を重ねながら、現在なお、この種の辞典として他の追随を許さない権威を保っている。戦時中、岩波の出版物に対して種々の強圧が加えられた際にも、この辞典のみは軍の諸研究所の必要品として特別な注文を受けた。 岩波書店
昭和11年(1936) 6月 入沢達吉・石原純ら、科学ペンクラブ創立。 内外事情
昭和13年(1938) 12月10日 岩波講座第13次《物理学》刊行開始―全22巻。編集:岡田武松・寺沢寛一・仁科芳雄・石原純。(1941.1.24完結)。 岩波書店
昭和16年(1941) 4月22日 石原純・小倉金之助ら日本科学史学会創立。 内外事情
昭和19年(1944) 5月1日 《科学》編集者変更―編集顧問:安藤広太郎・岡田武松・小泉丹・大河内正敏・柴田桂太・柴田雄次・坪井誠太郎・仁科芳雄・橋田邦彦、編集者:石原純(主任)・弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・富山小太郎・野口弥吉。 岩波書店
昭和22年(1947) 4月10日 《科学》4月号〈石原純博士追悼号〉発行。 岩波書店
昭和26年(1951) 4月1日 《科学》4月号(20周年記念号)―このとき現在の編集者:弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉。主任:富山小太郎。創刊以来の編集者:石原純+・岡田武松・柴田桂太+・寺田寅彦+・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎・安藤広太郎・末広恭二+・橋田邦彦+・大河内正敏・仁科芳雄+。(現存の方々は顧問)。 岩波書店
昭和28年(1953) 11月10日 《岩波理化学辞典》新版刊―1935年石原純博士の主任編集によって旧版が刊行されてから20年、数次の増補改訂を重ねてきたが、近年における量子力学および原子的化学理論の発展にともない、理化学全般にわたって急激な進歩が行なわれ、さらに大規模な増補と改訂とを必要とするに至った。従来の編集者井上敏・玉虫文一両氏の他に新たに小谷正雄・富山小太郎両氏が参加、1949年末から改訂作業に着手し、3年半を費して完成した。関係執筆者約200人、大量の新項目を追加すると共に、旧版の項目を再検討し、殆どすべてが書き直された。但し小項目主義をはじめ、旧版のすぐれた遺産をうけついだところも多い。この新版も、その後の用語の変化、内容の進展に応ずるため、5年後には、また増訂版を出さねばならなかった。(1958.11.28)。 岩波書店
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