(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"臼井吉見"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和36年(1961) 7月25日 小冊子《100冊の本―岩波文庫より》刊―新書判56頁、非売品。岩波文庫は創刊以来35年間に2700点を刊行し古典の普及版叢書としては、創刊当時模範とした《レクラム文庫》をも凌ぐ厖大な書目を擁し、国際的に見ても類のない出版となったが、それだけに、一般の読書人、とくに若い人々にとっては、その全体を見渡して選択を行うことが困難となり、適当な案内を必要とするに至った。1956年に《読書案内》という小冊子を出したのもこの必要に応じるためであったが、さらに岩波文庫の中から100点をえらんで実際的に一つの指標を提供することを試みたのである。100点の選衡については、まず下記15人の選者に依頼して、それぞれ岩波文庫総目録を検討の上若い読者に推奨すべき書目100点を挙げていただき、その結果を集計し、得票数による順位をつけて選者に報告、さらに数名の選者が討議を重ねて結論を出した。小冊子に発表するにあたっては、各著作に解説を付した。選者:臼井吉見・大内兵衛・大塚久雄・貝塚茂樹・茅誠司・久野収・桑原武夫・武谷三男・鶴見俊輔・中野重治・中野好夫・松方三郎・丸山真男・山下肇・渡辺一夫。非売品として各小売店を通じて頒布、非常な歓迎を受け、増刷を重ねた。他方7月25日から新聞紙上にもこの結果を広告、100点の文庫本そのものもセットとして販売したが、その反響は著しく、岩波文庫発刊時に次ぐ盛況を示した。 岩波書店
昭和52年(1977) 5月25日 臼井吉見の小説《事故のてんまつ》(《展望》5月号、また単行本として筑摩書房から刊行)に対し、川端康成の遺族は、事実無根の内容と抗議。6月2日、著者と発行元の筑摩書房を相手どって出版・販売の差し止めを求める仮処分申請を東京地裁に出し、さらに7月8日、仮処分では名誉を守れぬとして本訴提起と約5000万円の慰謝料を求める。 出版界
8月16日 《事故のてんまつ》問題、著者の臼井吉見が謝罪の意をあらわし、川端康成の遺族側は本訴を取り下げ、解決。しかし、争点の中心でもあった〈死者の名誉権〉については十分な結着がつかなかった。なお筑摩書房は7月半ば以降単行本の増刷を自主的に中止。 出版界
昭和62年(1987) 7月12日 臼井吉見(元《展望》編集長、82歳)歿。同郷の友古田晃の経営する筑摩書房を支援した。 出版界
PAGE TOP