(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正14年(1925) 12月 菊池寛《第二の接吻》(改造社刊)、アプトン・シンクレア《ヂャングル》(前田河広一郎訳、叢文閣刊)発禁。 出版界
昭和2年(1927) 11月30日 《芥川竜之介全集》刊行開始―全8巻。編集同人:小穴隆一・谷崎潤一郎・恒藤恭・室生犀星・宇野浩二・久保田万太郎・久米正雄・小島政二郎・佐藤春夫・佐佐木茂索・菊池寛。装幀:小穴隆一(1929.2.28完結)。 岩波書店
昭和4年(1929) 2月 メーテルリンク《青い鳥》の翻訳権を所有するとなす若月紫蘭、楠山正雄・冨山房・菊池寛・興文社・文芸春秋社・新潮社を著作権侵害で提訴、世の注目をひく。(翌年11月10日判決)。 出版界
2月 平凡社《菊池寛全集》(円本、正全12巻、続全10巻)、雄山閣《大日本地誌大系》(全40巻)、改造社《厨川白村全集》(全6巻)、春秋社《現代医学大辞典》(全27巻)、同《世界大思想全集》(第2期、円本、全29巻)刊行開始。 出版界
昭和5年(1930) 8月1日 菊池寛の税金滞納につき麹町区役所、《第二の接吻》以下93種の著作権を差押えて公売執行すると発表。8月19日、完納によって落着したが、出版権にも関連して出版界に異常なセンセーションをおこす。 出版界
8月 《婦人公論》に連載の広津和郎〈女給〉のモデル問題について菊池寛が中央公論社に送った抗議文を同社で無断改題して宣伝に利用、ために両者の間に告訴事件おこる。8月28日、解決したが文芸家協会は著作物の改竄問題として重視、9月29日、各雑誌社に注意を喚起する文書を発送。 出版界
9月26日 文芸春秋(1926年1月号)誌上の一文に端を発した菊池寛と聚芳閣との間のいわゆる〈砂利缶事件〉につき裁判所は和解を勧告、落着。 出版界
昭和12年(1937) 6月 改造社《林芙美子選集》(全7巻)、中央公論社《定本菊池寛全集》(全15巻)、第一書房《世界文豪読本全集》(全12巻)刊行開始。 出版界
昭和14年(1939) 2月15日 文芸春秋社、菊池寛賞を設定。 出版界
10月11日 増田義一・菊池寛・山本実彦ら雑誌業界の首脳、阿部首相と会見、雑誌用紙制限緩和について陳情。また10月14日、各省に対し雑誌印刷用電力供給の制限緩和について陳情書を提出。 出版界
12月 菊池寛、情報部参与に就任。 内外事情
昭和21年(1946) 3月7日 菊池寛、文芸春秋社解散の決意を表明、3月23日、佐佐木茂索を代表として文芸春秋新社創立。 出版界
昭和25年(1950) 6月10日 《岩波写真文庫》創刊―前年の夏、用紙中アートペーパーだけが統制外におかれるという情報をえて、写真を主にした出版によって、当時新しい問題とされていた視覚教育の要望にこたえようとした計画。企画は岩波書店と岩波映画製作所とが協議して定め、適当な題目を選定、岩波映画製作所が写真を撮影し、専門家の指導のもとに説明文を作製、岩波書店編集部の手を経て印刷に着手するという方法をとった。従来この種の出版は成功が困難とされていたが、以上の新しい出版方法によって斬新な型が生み出され、好評をもって迎えられて、経済的にも成功した。1953年菊池寛賞を受賞。(1958年12月20日までに286冊刊行)。 岩波書店
昭和27年(1952) 5月 文芸春秋新社、菊池寛賞を復活設定。 出版界
昭和28年(1953) 3月6日 岩波写真文庫、第1回菊池寛賞受賞―写真文庫はこのときまでに90点を刊行、新刊・既刊を通じてますます多数の読者を得つつあった。 岩波書店
昭和43年(1968) 10月21日 布川角左衛門、著作権・出版権の擁護への努力と《日本出版百年史年表》の編纂で第16回菊池寛賞を受賞。 出版界
昭和55年(1980) 11月7日 大岡信《折々のうた》(岩波新書)、第28回菊池寛賞受賞。 岩波書店
昭和62年(1987) 11月 《岩波文庫創刊60年》に対して第35回菊池寛賞を受賞。 岩波書店
12月2日 文芸春秋、《文芸春秋》創刊65周年・菊池寛生誕百年記念パーティを開催(ホテルオークラ)。 出版界
平成5年(1993) 11月15日 《菊池寛全集》全24巻(生誕百年記念出版。文芸春秋発売)刊行開始。 出版界
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