(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正8年(1919) 11月10日 吉井勇・久米正雄・里見弴らの編集により《人間》(玄文社)創刊。(1922.6.廃刊)。 出版界
昭和8年(1933) 10月1日 里見弴・川端康成らを編集同人とする《文学界》(文化公論社)、阿部知二・舟橋聖一らの後援による《行動》(紀伊国屋出版部)創刊、金原書店《臨牀の日本》、古今書院《地理学》創刊。 出版界
昭和15年(1940) 3月30日 《鏡花全集》刊行開始―全28巻。編纂委員:鏑木清方・水上竜太郎・小村雪岱・久保田万太郎・佐藤春夫・里見弴・谷崎潤一郎・寺木定芳・浜野英二。(1942.11.30完結)。 岩波書店
昭和16年(1941) 6月4日 里見弴《愛と智と》(実業之日本社刊)発禁。 出版界
昭和17年(1942) 12月5日 《図書》12月号、終刊号として発行―各出版社の月報類は日本出版文化協会発行の月報に吸収されることになったためである。やむをえぬ《図書》の廃刊を惜しむ読者の要望に対しては、希望者に毎月の発刊書目をはがきに印刷して知らせることになった。(翌年3月より実施)。//〔12月号内容〕表紙:ミレー〈種まき〉、解説:児島喜久雄。里見弴〈読書について〉、西田幾多郎〈明治二十四五年頃の東京文科大学選科〉、高村光太郎〈三十年〉(朗読のためのことば)。//特集〈回顧三十年感謝晩餐会記録〉内容〈回顧三十年感謝晩餐会の記〉〈あいさつ:岩波茂雄〉〈来賓あいさつ:三宅雪嶺・牧野伸顕・小泉信三・幸田露伴・明石照男・高村光太郎(詩朗読)・天野貞祐・安井てつ・藤原咲平〉〈来会者芳名〉〈付録・杉浦重剛先生に奉る書:岩波茂雄〉。 岩波書店
昭和25年(1950) 6月30日 《西園寺公と政局》刊行開始―全8巻。元老西園寺公の秘書原田熊雄氏が1928年から1941年に至る間、親しく見聞した政局の推移を、日記によって口述し速記させた厖大な記録。〈原田文書〉として極東軍事裁判の法廷で重要な資料となったもの。戦前には極めて少数の人々のほか窺うことを許されなかった皇室・元老・政府・軍部の関係および重要な政策決定の過程をはじめて公開し、昭和期の政治の真相を国民に伝えたものとして、その政治史的価値を高く評価された。公刊にあたっては、著者の里見弴氏の推敲を経て、丸山真男氏、林茂氏ほか東大政治学研究室の少壮学者により周到綿密な整理・校訂が施された。この文書の出版は、戦争中原田氏から岩波茂雄に極秘に託されてあった。戦後その約を果そうとして着手しはじめたとき、極東軍事裁判のために押収され、裁判の終了後漸く解除されて出版の運びとなったが、この間に岩波も原田氏も共に故人となっていた。(1952.8.15完結)。 岩波書店
昭和48年(1973) 5月18日 《志賀直哉全集》刊行開始―全14巻別巻1。編纂:武者小路実篤・里見弴・梅原竜三郎・滝井孝作・谷川徹三・尾崎一雄・網野菊・阿川弘之・紅野敏郎。さきの全集は、著者の生前1955年6月から1956年2月にかけて刊行され、新書型普及版の形式にもかかわらず、未発表の日記その他を収録して、当時多くの読者に迎えられた。著者の歿後初めて編纂される今回の全集は、さきの全集刊行後に発表された小品のほかに、別巻〈志賀直哉宛書簡〉を含めておよそ全巻の三分の一におよぶ新資料を加え、判型を菊判とした。(1974.12.10完結)。 岩波書店
11月2日 《鏡花全集》第2次刊行開始―全29巻。編纂:鏑木清方・水上滝太郎・小村雪岱・久保田万太郎・佐藤春夫・里見弴・谷崎潤一郎・寺木定芳・浜野英二・村松定孝。鏡花歿後、1940年3月から1942年11月にかけて、全集28巻を刊行したが、その後30余年を経て今日に至った。たまたま本年11月4日は鏡花生誕100年にあたり、これを機に前回の全集では収載し得なかった反戦的作品、〈琵琶伝〉〈海城発電〉などのほか、新発見の資料を収録した《補遺》1巻を立て、あわせてその後の研究の進展による補訂を全巻にわたって施し、全29巻として再刊することとなった。(1976.3.26完結。第3次1986.9.3刊行開始)。 岩波書店
昭和58年(1983) 1月21日 里見弴氏逝去。 岩波書店
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