(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正4年(1915) 6月18日 阿部次郎《第弐 三太郎の日記》刊―8月までに3版を出す。初版は1000部。再版以後1版は各500部であった。当時の出版界の慣習は1版を大体500部とした。 岩波書店
10月3日 《哲学叢書》刊行開始―全12冊。編者:阿部次郎・上野直昭・安倍能成。第1次世界大戦の社会・経済的影響や西欧思潮の無秩序な流入による当時の思想界の混乱は、わが国における哲学の貧困を示すものである、との考えから岩波茂雄は、日本人の哲学的思索の確立に資するため、哲学の知識の普及を思いたち、この叢書を刊行することになった。この叢書は学生層に広く浸透し、爾後岩波書店は哲学書の出版社として存在を認められるに至った。編者は岩波茂雄の友人であり、著者も大部分は岩波と交友関係にあった。これらの友人は、この叢書の発刊にあたって売行きを危ぶんだが、発行者の岩波は700部あるいは1000部を印刷すると称して、非常に積極的であったという。(全巻予約直接申込者800名)売れ行きの最も多かったものは速水滉《論理学》(1916.4.10刊)で大正末(1926)までに7万5000部、1963年3月までに16万6800部、高橋穣《心理学》(1917.7.10刊)大正末までに4万3000部。1949年4月までに10万1300部発行。(1917.8.25完結)。 岩波書店
大正6年(1917) 5月1日 月刊雑誌《思潮》創刊―主幹:阿部次郎。同人:石原謙・和辻哲郎・小宮豊隆・安倍能成。発行の辞は1300字に及ぶがその始めに“優れたる文明を建設し豊なる生活を開展せむがためには、その基礎を広くおおらかに築かなければならない。そのためには、我等は、祖国のことと共に世界のことについて、自家のことと共に他人のことについて、博大にして深邃なる興味と同情と理解とをもっていなければならない。狭隘なる国粋主義は、徹底せる理解と批評とを欠ける外国模倣と共に、我等の文明と生活とを貧寒にするものである”と述べている。定価は創刊号30銭、以後25銭。 岩波書店
9月 《漱石全集》の予約募集を発表―全12巻。(刊行途中第13巻と別冊が計画に加わり全14巻となる)。編集顧問:狩野亨吉・大塚保治・中村是公。編集者:寺田寅彦・松根東洋城・阿部次郎・鈴木三重吉・野上豊一郎・安倍能成・森田草平・小宮豊隆。刊行のスローガンに“日本が生める世界的文豪を永久に記念すべき一大金字塔”“芸術は永く、人生は短し”の二つを使った。著者の生前にその著作を発行した書店との関係を考慮して岩波書店内に漱石全集刊行会を置き、岩波茂雄が代表者になった。 岩波書店
大正8年(1919) 1月 雑誌《思潮》廃刊―主幹阿部次郎氏のヨーロッパ留学等の理由による。 岩波書店
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