(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"隅谷三喜男"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和43年(1968) 11月25日 《近代日本総合年表》刊―編集:勝本清一郎・西田長寿・江口朴郎・八杉竜一・山本二郎・遠山茂樹・丸山真男・隅谷三喜男・安藤良雄・星野芳郎・藤原彰・今井清一・内川芳美・山住正己・植手通有。この年表の企画が芽生えたのは1964年であった。岩波講座《日本歴史》1962年版の完結にともない、編集部は続く企画として日本の現代史を対象とすべく、その準備として既存の各種年表を用いて、明治以降の政治・経済から学芸・社会にわたる各部門を併記した100年間の年表を作成してみた。この試みを実際に行った結果、近・現代の日本の全体的な歴史像に近づくためには、多くの部門を見やすい形で併記し、それを縦横に一覧しうる〈総合年表〉がいかに必要であり、いかに有用であるかが実感として得られ、その編纂が始められた。以来3年余、編集委員・執筆者および協力者100名近くの方々による共同作業と、二百数十回に及ぶ討議を経て記載項目を3万余に圧縮選定し、それに典拠と索引を付して本年表の完成をみた。すなわちこの年表は、開国以来の日本の歴史(1853~1967)を、〈政治〉〈経済・産業・技術〉〈社会〉〈学術・教育・思想〉〈芸術〉〈国外〉の6部門に並立し、これによって同時代の全体像を一望のもとに収めうるものとなった。1984年5月には、その後の16年を増補した第二版が刊行された。 岩波書店
昭和52年(1977) 6月6日 《田中正造全集》刊行開始―全19巻別巻1。編纂:田中正造全集編纂会。顧問:黒沢酉蔵・島田宗三。編集:林茂・雨宮義人・隅谷三喜男・由井正臣・鳥海靖・坂野潤治・山口利昭・花村冨士男・前沢敏・日向康・安在邦夫。この全集は、田中正造が一代に書き遺した文章・記録類の蒐集可能な限りを網羅し、その生涯にわたる思想と行動の全貌を明らかにしようとするものであった。1974年、編纂室を開設して以来蒐集した関係資料は2万数千点、うち7200余点が田中正造の筆になるものとしてこの全集に収載されたが、文書・日記・書簡などには、彼とともに自由民権、鉱毒反対を闘った同志の家々、渡良瀬川沿岸の村や町の人々の手で七・八十年にわたって大切に保存されたものが多い。全集に収められた文章の7割は、このたび初めて公表されたものであり、田中正造の実像に迫る上で画期的な全集となった。資料の捜索、また編集の上で、田中正造の門弟および研究者の方々の献身的努力がこの成果を生んだ。当初本巻17巻の目論見を、刊行途中変更して19巻とし、3年の歳月をへて完結した。(1980.8.8完結)。黒沢翁このとき95歳本全集の完成を喜ばれたが、島田翁は惜しくもこの年1月逝去された。なお、黒沢翁も1982年2月逝去された。 岩波書店
昭和58年(1983) 7月9日 創業70年記念公開シンポジウム〈科学技術の開発と新しい社会〉を京都において開催―コンピューター・システムや遺伝子工学のおそるべき発達・開発は、われわれの社会システムにいかなる問題を提起しているだろうか。このテーマを中心に聴講希望者を集めて7月9・10日の2日にわたって京都ホテルで行われた。討論参加者:飯島宗一/長尾真/岡田節人/小出昭一郎/赤木昭夫/下河辺淳/藤沢令夫/伊東光晴の各氏。また、混迷を深める国際秩序の中にあって、日本の生きる道は何か。安全保障・外交・経済政策をめぐって論ずる公開シンポジウム〈日本の生き方と平和問題〉は、7月23・4日の両日、赤坂プリンスホテルで開催。討論参加者は、隅谷三喜男/坂本義和/宮崎勇/宇沢弘文/豊田利幸/上山春平/加藤周一/進藤栄一/大江健三郎の各氏であった。そして今日最も切実な課題をめぐって多彩な討論が行われた二つの公開討論は、12月15日、それぞれのタイトルを冠した単行本として刊行された。 岩波書店
平成3年(1991) 11月21日 成田空港問題シンポジウム(政府、三里塚・芝山連合空港反対同盟熱田派、隅谷三喜男ら学識経験者)開催。奥田運輸相、陳謝。 内外事情
平成5年(1993) 5月24日 成田空港問題シンポジウム(座長隅谷三喜男)。国と反対同盟元熱田派、学識経験者による最終調停案(二期工事の進め方を全面見直し)を大筋で受諾。6月16日、空港公団、強制収用申請を取り下げ。 内外事情
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