(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和49年(1974) 11月12日 岩波講座《現代生物科学》刊行開始―全12巻24分冊。編集:飯島宗一・江橋節郎・太田行人・岡田節人・小関治男・山村雄一・渡辺格。生物学・医学・農学など生物諸科学とりわけ分子生物学の発展には著しいものがある。10年前の1965年11月から1967年3月にかけて岩波講座《現代の生物学》全9巻を刊行したが、こうした生物学の発展の画期に際して、想を新たにしてこの講座は企画された。200人に及ぶ各分野の参画と支援をえて、生物学の今日の到達点と、新たな学問発展の可能性を追究することができた。(1977.9.12完結)。 岩波書店
昭和54年(1979) 7月25日 《広島・長崎の原爆災害》刊―編集:広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会。1976年、広島・長崎両市長は、〈核兵器の廃絶と全面軍縮のために―国連事務総長への要請〉を携えて国連を訪問、ふたたびヒロシマ・ナガサキの惨禍をくり返さないため、国連に一層の努力を要請した。その後、両市は本書の編集委員会をつくり、両市が蒙った災害の実態と推移の全貌を国民の前に明らかにし、また広く世界に伝えることを求めて、その出版を岩波書店に委嘱した。飯島宗一・今堀誠二・具島兼三郎の3氏の指導のもとに、34名の研究者の協力をえて、ここに物理・医学・人文科学の諸領域における調査・研究を集大成した。1945年8月から34年を経た歳月は、調査にもとづくこの作業をはじめて可能にし、両市の原爆災害の実態を伝える典拠となる白書として刊行された。1981年7月31日、その英訳版《HIROSHIMA AND NAGASAKI》を日・米・英の各国で同時刊行。 岩波書店
昭和56年(1981) 7月30日 《写真集 原爆をみつめる―1945年広島・長崎》刊―編集:飯島宗一・相原秀次。この写真集は、日本人写真家23名の積極的な協力をえて、約300枚の写真を精選してまとめ、またそれらの写真の撮影地点を地図上に示したものである。医学者として、カメラマンとして、原爆被災問題を長年追究してきた編者の記述よりなる本書は、被爆者や撮影者の体験談も織り込まれた貴重な歴史的証言となっている。 岩波書店
昭和58年(1983) 7月9日 創業70年記念公開シンポジウム〈科学技術の開発と新しい社会〉を京都において開催―コンピューター・システムや遺伝子工学のおそるべき発達・開発は、われわれの社会システムにいかなる問題を提起しているだろうか。このテーマを中心に聴講希望者を集めて7月9・10日の2日にわたって京都ホテルで行われた。討論参加者:飯島宗一/長尾真/岡田節人/小出昭一郎/赤木昭夫/下河辺淳/藤沢令夫/伊東光晴の各氏。また、混迷を深める国際秩序の中にあって、日本の生きる道は何か。安全保障・外交・経済政策をめぐって論ずる公開シンポジウム〈日本の生き方と平和問題〉は、7月23・4日の両日、赤坂プリンスホテルで開催。討論参加者は、隅谷三喜男/坂本義和/宮崎勇/宇沢弘文/豊田利幸/上山春平/加藤周一/進藤栄一/大江健三郎の各氏であった。そして今日最も切実な課題をめぐって多彩な討論が行われた二つの公開討論は、12月15日、それぞれのタイトルを冠した単行本として刊行された。 岩波書店
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