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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | 10月3日 | 《哲学叢書》刊行開始―全12冊。編者:阿部次郎・上野直昭・安倍能成。第1次世界大戦の社会・経済的影響や西欧思潮の無秩序な流入による当時の思想界の混乱は、わが国における哲学の貧困を示すものである、との考えから岩波茂雄は、日本人の哲学的思索の確立に資するため、哲学の知識の普及を思いたち、この叢書を刊行することになった。この叢書は学生層に広く浸透し、爾後岩波書店は哲学書の出版社として存在を認められるに至った。編者は岩波茂雄の友人であり、著者も大部分は岩波と交友関係にあった。これらの友人は、この叢書の発刊にあたって売行きを危ぶんだが、発行者の岩波は700部あるいは1000部を印刷すると称して、非常に積極的であったという。(全巻予約直接申込者800名)売れ行きの最も多かったものは速水滉《論理学》(1916.4.10刊)で大正末(1926)までに7万5000部、1963年3月までに16万6800部、高橋穣《心理学》(1917.7.10刊)大正末までに4万3000部。1949年4月までに10万1300部発行。(1917.8.25完結)。 | 岩波書店 |
昭和4年(1929) | 4月1日 | 《思想》4月号より復刊―従来は岩波書店編集となっていたが、実際には初期のころ和辻哲郎氏、その後高橋穣氏・伊藤吉之助氏等が顧問として編集を指導していた。復刊を機会に編集者を明示することとし、和辻哲郎・谷川徹三・林達夫の3氏が担当した。 | 岩波書店 |
昭和6年(1931) | 10月15日 | 岩波講座第6次《教育科学》刊行開始―全20巻。顧問:大瀬甚太郎・吉田熊次・小西重直・西晋一郎。編集:阿部重孝・佐佐木秀一・増田惟茂・高橋穣・岡部弥太郎・城戸幡太郎。(1933.8.10完結)。 | 岩波書店 |
昭和15年(1940) | 5月17日 | 岩波講座第14次《倫理学》刊行開始―全15巻。編集:天野貞祐・高橋穣・和辻哲郎。(1941.12.20完結)。 | 岩波書店 |
昭和43年(1968) | 5月6日 | 高橋穣氏逝去。 | 岩波書店 |
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