※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 「婦女界」をやめる | 石川武美年譜 | |
9月18日 | 主婦の友社を創業、東京家政研究会の名で事業をはじめる | 石川武美年譜 | |
10月 | 「貯金の出来る生活法」を発行 | 石川武美年譜 | |
10月 | 「実験千種・手軽でうまい経済料理」(上下二巻)を発行 | 石川武美年譜 | |
11月17日 | 次女富美子誕生 | 石川武美年譜 | |
12月8日 | 犬吠崎で「主婦の友」の創刊を決意する | 石川武美年譜 | |
- | (夏)小石川区林町より東京府北豊島郡巣鴨町宮仲一八二九番地に移る | 石川武美年譜 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月14日 | 「主婦の友」を創刊、三月号が発売される(当時は「主婦之友」) | 石川武美年譜 | |
6月25日 | 東京市牛込区赤城元町三四番地に移る | 石川武美年譜 | |
7月 | 尾立鼎三らと富士山に登る | 石川武美年譜 | |
9月 | 神田区表神保町二番地に移る、このときから社と自宅を分離する、自宅は赤城元町の家 | 石川武美年譜 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 新年の伊勢まいり | 石川武美年譜 | |
- | (夏)前年と同じようなメンバーで北アルプス穂高に登る | 石川武美年譜 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月10日 | 長男勝郎誕生 | 石川武美年譜 | |
- | (夏)北アルプス白馬登山 | 石川武美年譜 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月24日 | 生後七ヵ月半の長男勝郎を失う | 石川武美年譜 | |
6月 | 神田区表神保町一番地に移る | 石川武美年譜 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 新年の伊勢まいり | 石川武美年譜 | |
5月20日 | 東京家政研究会の社名を主婦の友社と改める(当時は主婦之友社) | 石川武美年譜 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 新年の伊勢まいり | 石川武美年譜 |