(社)同盟通信社『通信社史』(1958.12)

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月日 事項 年表種別
大正7年(1918) 12月10日 日本電報通信社、パリ平和会議に上田碩三を特派す。 通信社関係
大正10年(1921) 10月2日 日本電報通信社、通信部長・上田碩三をワシントン海軍軍縮会議に特派。 通信社関係
昭和2年(1927) 7月26日 日本電報通信社、ジュネーブで開催の新聞専門通信家国際会議に部長・上田碩三を特派。 通信社関係
昭和4年(1929) 11月 △日本電報通信社も通信部長・上田碩三、記者・神子島梧郎をロンドン会議へ派遣。 通信社関係
昭和11年(1936) 1月9日 田中都吉(中外商業)正力松太郎(読売)両社長、緒方竹虎(朝日)専務取締役の三合流交渉委員は同盟通信社専務理事・岩永裕吉、日本電報通信社取締役・上田碩三に対し「電通」合流に関する最後案を提示した。 通信社関係
6月1日 △上田碩三「同盟」常務理事に就任、不破瑳磨太「電通」常務取締役に就任。 通信社関係
昭和20年(1945) 7月11日 日本電報通信社長・光永真三辞任、上田碩三社長就任。 通信社関係
昭和22年(1947) 6月21日 日本電報通信社長・上田碩三辞任、吉田秀雄社長となる。 通信社関係
昭和24年(1949) 1月31日 UP極東総支配人ヴォーン副社長、前電通社長・上田碩三とともに東京湾で鴨猟中遭難水死す。 通信社関係
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