(社)同盟通信社『通信社史』(1958.12)

"松本重治"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和14年(1939) 2月16日 同盟通信社中南支総局長・松本重治本社勤務となり、松方義三郎(北支総局長)中南支総局長に、神子島梧郎(内信局次長)北支総局長となる。 通信社関係
10月6日 同盟通信社、古野新社長によって機構改革が行われ従来の六局制を総務、編集、通信、経済の四局に統合、同時にこれまで常務理事が兼任していた局長を社員から任命し、常務理事は局の主査に就任した。この時松本重治は編集局長に、鷹嘴寿は通信局長に、塚本義隆は経済局長に就任した。 通信社関係
昭和18年(1943) 2月11日 同盟通信社、職制を改正し総務、編集、海外、経済、連絡の五局を置き、総務局長に塚本義隆、編集局長に大平安孝、海外局長に松本重治、経済局長に石部幸弌、連絡局長に鷹嘴寿を任命。 通信社関係
昭和20年(1945) 12月1日 元同盟通信社常務理事・松本重治主宰者となり「民報」を創刊。 新聞放送関係
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