(社)同盟通信社『通信社史』(1958.12)

"正力松太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正13年(1924) 2月25日 正力松太郎、読売新聞を買収し七代目社長に就任。 新聞放送関係
昭和11年(1936) 1月9日 田中都吉(中外商業)正力松太郎(読売)両社長、緒方竹虎(朝日)専務取締役の三合流交渉委員は同盟通信社専務理事・岩永裕吉、日本電報通信社取締役・上田碩三に対し「電通」合流に関する最後案を提示した。 通信社関係
昭和19年(1944) 3月24日 同盟通信社理事会において顧問をおくに決し光永星郎、小森七郎、田中都吉、正力松太郎、緒方竹虎を顧問に推挙す。 通信社関係
昭和20年(1945) 12月2日 元同盟通信社長・古野伊之助、読売新聞社長・正力松太郎、元毎日新聞社賓・徳富猪一郎、元情報局総裁・下村宏、戦犯容疑者として指名さる(12日古野。正力は巣鴨に収容、徳富、下村は病気のため療養)。 通信社関係
昭和22年(1947) 8月1日 読売新聞前社長・正力松太郎、巣鴨拘置所から釈放さる。 新聞放送関係
昭和27年(1952) 4月7日 吉田首相、新聞界四長老(古野伊之助、馬場恒吾、正力松太郎、高石真五郎)を招待懇談。 新聞放送関係
10月15日 日本テレピ放送網会社創立総会、社長に正力松太郎決定。 新聞放送関係
昭和29年(1954) 7月1日 読売新聞社、重役会で正力松太郎を正式に社主に推挙。 新聞放送関係
昭和30年(1955) 11月22日 読売新聞社主・正力松太郎、第三次鳩山内閣に国務相として入閣(24日社主、日本テレビ社長を辞任)。 新聞放送関係
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