(社)同盟通信社『通信社史』(1958.12)

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月日 事項 年表種別
昭和7年(1932) 9月 内田外相、前駐ソ大使・田中都吉に聯・電両社に対する合併交渉を依頼す。 通信社関係
昭和8年(1933) 5月26日 中外商業新報社長・簗田〓[金+久]次郎退任し、田中都吉社長となる。 新聞放送関係
昭和10年(1935) 1月24日 新聞聯合社理事・田中都吉(中外商業)、下村宏(朝日)、高石真五郎(毎日)の三名、外務、逓信両省ならびに放送協会に新通信社設立具体案を提示。 通信社関係
昭和11年(1936) 1月1日 社団法人・同盟通信社発足、新聞聯合社の業務を継承して通信業務を開始す。田中都吉(中外商業社長)同盟通信社の理事会長兼社長代理に就任。 通信社関係
1月9日 田中都吉(中外商業)正力松太郎(読売)両社長、緒方竹虎(朝日)専務取締役の三合流交渉委員は同盟通信社専務理事・岩永裕吉、日本電報通信社取締役・上田碩三に対し「電通」合流に関する最後案を提示した。 通信社関係
昭和17年(1942) 2月5日 日本新聞会設立。会長・田中都吉、理事長・不破瑳磨太就任。 新聞放送関係
6月27日 同盟通信社理事会開催、会長田中都吉辞任(日本新聞会会長就任のため)。その後任理事会会長に高石真五郎(毎日新聞社長)就任。 通信社関係
昭和18年(1943) 1月14日 日本新聞会会長・田中都吉、貴族院議員に勅選さる。 新聞放送関係
昭和19年(1944) 3月24日 同盟通信社理事会において顧問をおくに決し光永星郎、小森七郎、田中都吉、正力松太郎、緒方竹虎を顧問に推挙す。 通信社関係
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