"緒方竹虎"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | 2月6日 | 緒方竹虎、東京朝日の編集局長となる。 | 新聞放送関係 |
昭和9年(1934) | 4月18日 | 朝日新聞、主筆制実施を機に編集局の大異動行わる。緒方竹虎東朝主筆、高原操大朝主筆となる。 | 新聞放送関係 |
昭和11年(1936) | 1月9日 | 田中都吉(中外商業)正力松太郎(読売)両社長、緒方竹虎(朝日)専務取締役の三合流交渉委員は同盟通信社専務理事・岩永裕吉、日本電報通信社取締役・上田碩三に対し「電通」合流に関する最後案を提示した。 | 通信社関係 |
5月21日 | 朝日新聞は、東西を通ずる朝日新聞主筆制を実施し、高原操を名誉主筆に、緒方竹虎を主筆とす。緒方は同時に専務取締役に就任。 | 新聞放送関係 | |
昭和16年(1941) | 9月15日 | 朝日新聞編集総長制を廃止し、編集、業務責任者各一名を定め、緒方竹虎を編集、石井光次郎を業務の責任担当者とした。 | 新聞放送関係 |
昭和18年(1943) | 12月27日 | 朝日新聞副社長に緒方竹虎就任、同時に機構を改め編集総局を設け編集総長に原田譲二、同副総長に北野吉内がそれぞれ就任。 | 新聞放送関係 |
昭和19年(1944) | 3月24日 | 同盟通信社理事会において顧問をおくに決し光永星郎、小森七郎、田中都吉、正力松太郎、緒方竹虎を顧問に推挙す。 | 通信社関係 |
7月22日 | 朝日新聞副社長・緒方竹虎、小磯内閣の国務相として入閣のため退社。 | 新聞放送関係 | |
昭和29年(1954) | 12月8日 | 緒方竹虎、自由党総裁に就任。 | 内外重要事項 |
昭和30年(1955) | 11月15日 | 保守政党「自由民主党」結成(代行委員鳩山一郎、緒方竹虎、三木武吉、大野伴睦) | 内外重要事項 |
昭和31年(1956) | 1月28日 | 緒方竹虎(元朝日新聞副社長)急死。 | 新聞放送関係 |
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