旭硝子(株)『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
6月25日 ・度量衡法施行貨公布(ヤード・ポンド系も採用) 社会一般
8月2日 ・菱印の商標を登録 旭硝子関連
9月 ・板ガラス製品の市販を開始 旭硝子関連
11月4日 ・ハルビンで狙撃された伊藤博文の国葬挙行 社会一般
12月16日 ・山手線で電車運転開始(烏森<新橋>・品川・上野、池袋・赤羽間) 社会一般
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月15日 ・板ガラス製品に菱印商標の使用を開始 旭硝子関連
8月22日 ・韓国併合に関する日韓条約調印 社会一般
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月30日 ・明治天皇没、大正と改元 社会一般
10月9日 ・ラバース式機械吹円筒法の特許実施権獲得 旭硝子関連
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
7月31日 ・第6期決算において初めて利益金を計上 旭硝子関連
8月5日 ・広東の独立失敗、孫文、福建から台湾へ亡命 社会一般
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
5月 ・板ガラス工場を福岡県戸畑に建設(牧山工場、現・北九州工場) 旭硝子関連
7月10日 ・牧山工場でラバース式機械吹円筒法により板ガラスの製造を開始 旭硝子関連
7月28日 ・オーストリア、セルビアに宣戦布告、第一次世界大戦勃発 社会一般
8月1日 ・東京出張所を設置 旭硝子関連
8月23日 ・日本、ドイツに宣戦布告 社会一般
12月14日 ・ロンドンに向け板ガラスを初出荷(欧州輸出第1号) 旭硝子関連
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
1月18日 ・駐華公使日置益、中国大総統袁世凱に21カ条の要求を提出 社会一般
3月19日 ・牧山工場は若松市上水道の予備貯水池の決壊により浸水し、基礎工事の沈下、築造物の倒壊など著しい損害を被る。同年4月20日復旧し、作業を開始 旭硝子関連
5月9日 ・中国、21カ条の要求をすべて承認 社会一般
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