※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 特許法・意匠法・商標法公布 | 政治・経済・社会 | |
3月 | 商法(新商法)公布 | 政治・経済・社会 | |
4月 | 仁崎セメント株式会社設立(明治33.4解散) | 業界 | |
5月 | 共同セメント会社、開業にいたらず解散 | 業界 | |
- | (上期)門司分工場増設工事完成、わが国最初のチューブミル1基をドイツのハンブルグ、ナーゲルケンプ社より輸入設置 | 当社 | |
- | 舞子(粘土)採掘場開設 | 当社 | |
- | オーストリアの技師ルドウィッヒ ハチェック、石綿スレートを発明 | 業界 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 門司分工場に石灰窯5基新設、消石灰の自給策を立て、原石焼成法を粉灰焼成法に変更 | 当社 | |
2月 | 日本ポルトランドセメント業技術会設立 | 業界 | |
3月 | 小林春一郎、巴江セメント株式会社設立(操業にいたらず解散) | 業界 | |
4月 | 小野田社新工場完成、ディーチュ竪窯採用によるセメント製造開始 | 業界 | |
12月 | 九州一円に金融恐荒起き、関東にまで波及 | 政治・経済・社会 | |
- | 大阪詰所開設 | 当社 | |
- | 青浜採掘場開設 | 当社 | |
- | 東社、帝国社解散 | 業界 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | セメント1樽の容量を400ポンド(181.4kg)より380ポンド(172.4kg)入りに改む | 業界 | |
5月 | 山陽鉄道線開通(神戸~下関間) | 政治・経済・社会 | |
12月 | 小野田社、三井物産合名会社との間に一手販売契約を締結 | 業界 | |
- | アメリカにおける回転窯の使用状況およびその成績の調査をサンフランシスコの東洋汽船株式会社に在勤中の白石元治郎に依頼、その調査報告および回転窯焼成のクリンカを入手し、成績良好なることが判明 | 当社 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 坂内冬蔵、回転窯の実地調査のため渡米 | 当社 |