石川島重工業(株)『石川島重工業株式会社108年史』(1961.02)

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月日 事項 年表種別
安政4年(1857) 10月 平野富二、長崎奉行所御用所番に任命さる 当社主要事項
万延2年(1861) - 平野富二、長崎製鉄所機関手見習となる 当社主要事項
文久2年(1862) 3月 平野富二、幕府のチャールス号、ビクトリア号両汽船の乗組機関手となる 当社主要事項
慶応2年(1866) - 平野富二、幕府の軍艦回天の1等機関手に任命さる 当社主要事項
慶応4年(1868) - 平野富二、長崎製鉄所機関方に任命さる 当社主要事項
明治2年(1869) 3月 平野富二、長崎小菅造船所所長に任命さる 当社主要事項
明治3年(1870) 10月 平野富二、長崎県権大属に任命され長崎製鉄所兼小菅造船所所長・立神新ドック開削主任になる 当社主要事項
明治4年(1871) 4月9日 平野富二、長崎造船所を辞す 当社主要事項
- 平野富二、長崎で活版業に着手 当社主要事項
明治5年(1872) 7月 平野富二、従業員10名とともに上京し神田佐久間町に活字販売店を開業 当社主要事項
明治6年(1873) 7月 平野富二、築地2丁目に土地120坪余を買入れ家屋を新築し平野活版製造所を設立(のちの東京築地活版製造所) 当社主要事項
明治9年(1876) 6月14日 平野富二、海軍省付属石川島ドック拝借願を東京府知事に提出 当社主要事項
- 平野富二、活版業伸長を図るため工部省勧工寮活版部の払下げを歎願 当社主要事項
明治10年(1877) 10月20日 平野富二、海軍省へ借用料に関し再契約を願出る 当社主要事項
明治12年(1879) 7月 平野富二、横浜製鉄所拝借願を提出(同年12月認許) 当社主要事項
11月24日 平野富二・稲木嘉助と共同で東京・浦賀・館山間の旅客・貨物運送業開始 当社主要事項
明治13年(1880) 9月 平野富二、北海道の有力者渡辺熊四郎ほかと共同して海軍省所属の造船機械類の払下げをうけ函館機械製造所の設立に協力 当社主要事項
明治15年(1882) - このころ平野富二、隅田川から品川沖までの水位を深くする浚渫作業を参議大隈重信に進言 当社主要事項
明治18年(1885) 6月 平野活版製造所、会社組職をとり社名を東京築地活版製造所と改め社長 平野富二、支配人に曲田成が就任 当社主要事項
11月15日 平野富二、東京・横須賀間の旅客・貨物運送の個人営業開始(1日2往復) 当社主要事項
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