(社)共同通信社『共同通信社50年史』(1996.06)

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目次項目 ページ
第1部 概観 p1
第1章 概説―共同通信社50年の歩み p1
1. 類例少ない通信社 p1
財政規模は世界有数 p1
アジアの代表的通信社 p1
実質は「国内通信社」 p1
永遠の?ジレンマ p1
双子の通信社 p1
2. 同盟の遺産 p3
偽装解散?が本物に p3
戦争責任総括せず p3
3. 伊藤理事長が退陣 p4
文字電送を開発 p4
GHQの共同攻撃 p4
4. 3社脱退の衝撃 p5
雨降って地固まる p5
3社の外信復帰 p5
5. 菅生事件のスクープ p6
典型的な謀略 p6
6. ラジオ・テレビ局発足 p6
花盛りの民放 p6
共同テレビの失敗 p6
7. 松方時代の終息 p7
編集綱領を制定 p7
協調路線が破たん p7
8. 漢字テレタイプの導入 p7
文字電送に決別 p7
9. 対外発信が本格化 p8
英文モールス放送 p8
国際局が発足 p8
10. 福島社長が就任 p8
「中興の祖」登場 p8
11. 新社屋に移転 p9
スペース1.8倍に p9
12. 国際的スクープ連発 p9
共同の知名度上昇 p9
13. 第1次電算化 p10
集配信を近代化 p10
14. KK共同の発足 p10
KK前史の流れ p10
関連4社が合併 p10
15. 渡辺体制が発足 p11
国際通信社化掲げる p11
定年延長 p11
テレレート導入 p11
ブレジネフ死去を抜く p11
16. 酒井時代 p11
「多機能通信社」目指す p11
海外取材・通信網を拡充 p11
17. 昭和から平成へ p12
激しい“Xデー”取材 p12
18. 朝日記事盗用事件 p12
信頼性の危機 p12
「重大な欠陥」指摘 p12
19. 犬養体制スタート p13
酒井社長が退陣 p13
三つのキーワード p13
新勤務手当で合意 p13
20. 電子編集化が実現 p14
遅れた対応 p14
進む組織改革 p14
21. 国際発信を拡充 p15
多様化した配信先 p15
国際回線網が拡大 p15
22. 放送サービスの強化 p15
スターネット計画 p15
23. 阪神大震災とオウム真理教 p16
共同支局も壊滅 p16
悪夢の地下鉄サリン事件 p16
第2章 現況 p17
第1節 社団法人共同通信社 p17
1. 社員社と契約社 p17
予算規模400億円超える p17
掲載紙は4700万部 p17
社員社 p17
民放契約社 p17
社員外社 p17
2. 組織と人員 p20
組織 p20
本社 p20
支社局 p20
海外 p20
人員規模 p20
3. 海外契約・協力通信社 p22
第2節 株式会社共同通信社 p23
1. 概要 p23
売り上げ200億円超す p23
組織と人員 p23
本社組織 p23
2. 業務内容 p24
テレレートとJLS p24
出版・事業・写真関連活動 p24
第3節 株式会社共同通信会館 p25
総資産39億円 p25
第4節 株式会社共同通信リース p26
営業収入30億円 p26
第5節 海外現地法人と関連法人 p26
米国で展開 p26
資本などで参加 p26
第6節 共同通信社健康保険組合 p27
発足前後 p27
予算規模15億円 p27
建て直した軽井沢と谷川保養所 p27
第2部 通史 p29
序章 同盟解散 p29
1. 原爆投下で決意 p29
敗戦後も活動継続 p29
戦敗国通信社は必滅 p29
最後の大スクープ p29
同盟電世界を走る p29
2. GHQの同盟非難 p31
即時業務停止を命令 p31
業務再開後、全面検閲 p31
ベイリー黒幕説に疑問も p31
米兵犯罪報道に怒る p31
原爆報道も響く? p31
特派員憤慨させた同盟 p31
3. 機先制し自主解散 p34
新通信社構想にがく然 p34
狙いは同盟つぶし p34
APにも背かれる p34
3社は外電契約に成功 p34
同盟の特権はく奪 p34
したたかな計算 p34
同盟の「現況」 p34
古野の反論 p34
待たれる批判的再評価 p34
4. 新通信社へ急展開 p38
4日間に一転 p38
伊藤理事長の登場 p38
共同の設立決まる p38
時事も発足へ p38
両社の業務領域を設定 p38
人員割り振りに苦労 p38
支局長の一言で p38
外地帰りの不運 p38
予約席 p38
第1章 草創期(伊藤時代)―1945年11月~1949年7月― p43
第1節 共同通信社の発足 p43
1. 窮乏と混乱の中で p43
創立記念式 p43
貧弱な施設 p43
相次ぎ外電契約 p43
2. 飢餓と闘う記者たち p44
共同従組が誕生 p44
食糧難とインフレ p44
記者も買い出しに p44
第2節 苦難のかじ取り p46
1. インフレ下の経営難 p46
新聞も火の車 p46
見込み違い p46
3社の負担率に苦心 p46
2. 地方部を新設 p48
GHQとの仲介役 p48
時事通信社との関係 p48
3. 労働争議が多発 p49
各社で戦争責任追及 p49
インボデン旋風 p49
新聞ゼネストに不参加 p49
4. 新興紙ブーム p50
180紙が創刊 p50
購読調整で競争激化 p50
初の機構改革 p50
外電の植民地に p50
尾を引く占領後遺症 p50
5. 初期の対外発信 p52
ほそぼそとローマ字放送 p52
英文は国内だけ p52
引用され間接輸出 p52
第3節 通信革命・文字電送の開発 p53
1. 技術革新の第1弾 p53
悩みの種の送信手段 p53
聯合時代から研究 p53
字解と翻訳を追放 p53
2. 名簿送信に威力 p55
有線でスタート p55
舞鶴から直接発信 p55
同盟技研の系譜 p55
第4節 GHQの報道検閲 p56
1. 二重の役割演じる p56
占領批判封じる p56
生きていた弾圧法令 p56
波紋呼んだ会見写真 p56
“陛下の恥辱” p56
高見順の羞恥 p56
2. 始まった本格検閲 p58
同盟に検閲室 p58
総勢60人が作業 p58
14カ月間に不許可29件 p58
検閲の基準 p58
3. 廃止への道程 p59
事前から事後検閲へ p59
第5節 伊藤理事長が退陣 p60
1. GHQの共同攻撃強まる p60
国内の左右対立激化 p60
米ソ冷戦の本格化反映 p60
高官談話事件 p60
ニュース源秘匿を貫く p60
背景に意見対立 p60
2. プレスコード違反事件 p62
アカ攻撃の口火 p62
理事長退陣を示唆 p62
編集主査制を導入 p62
共産党員を隔離 p62
団規令の適用受ける p62
インボデンの痛撃 p62
3. 伊藤理事長ついに辞任 p64
苦闘3年8カ月 p64
GHQに嫌われた理由 p64
インボデン離れ進む p64
4. 社費分担の新基準導入 p66
3社との妥協の産物 p66
共同に付帯事業認める p66
第6節 初期の選挙報道 p67
1. 手探りの時代 p67
人物写真スタート p67
そろばん片手に p67
2. 独立政治部の初仕事 p68
選挙に強い共同 p68
選挙報道の原典作る p68
第7節 極東軍事裁判 p69
1. 最大規模の動員 p69
横文字の効用 p69
「深呼吸して臨め」 p69
2. 判決速報で圧勝 p70
“天祐”の判決文 p70
BC級裁判 p70
第8節 新生・経済部が健闘 p71
1. ドッジ・ライン p71
非軍事化から経済自立へ p71
経済部の新発足 p71
2. 360円レート決定 p71
UPがスクープ p71
3. シャウプ勧告 p72
膨大な報告書 p72
発表前日に原文入手 p72
第9節 手痛い黒星・帝銀事件 p73
1. 第1報を落とす p73
信じられない完敗 p73
クラブ空っぽ p73
前例生かされず p73
2. 共同、巻き返す p74
“人相図”をスクープ p74
第10節 大地震続発に奮闘 p75
1. 死者1000人級相次ぐ p75
戦時中は2段扱い p75
M8.1の南海大地震 p75
2. 福井支局応答なし p75
隣県から全滅の第1報 p75
写真速報に惨敗 p75
第11節 苦心の連続・金環食取材 p76
1. 60年ぶりの天体ショー p76
各社が大量動員 p76
2. 悪戦苦闘の共同チーム p77
機動力は自転車1台 p77
第12節 編集局長努力賞第1号 p77
1. 地味な苦労を評価 p77
写真運びに献身 p77
2. 国体で活躍の2人 p77
神業の写真電送 p77
記録取材に成果 p77
《コーヒーブレーク》 NP
「“差額料”に苦しむ」 p44
「バッジと社旗」 p46
「松方局長嘆息」 p54
「ワンマン取材」 p68
「“秀駒”をスクープ」 p74
「ボーン賞創設」 p78
第2章 激動期(松方時代)―1949年7月~1959年12月― p79
第1節 松方体制の出発 p79
1. 新聞販売競争が激化 p79
日本の転機 p79
セット・専売制の復活 p79
電波メディアが台頭 p79
2. 再建委員会の発足 p80
危機打開の方向付け p80
基本方針明確に p80
3. 専務理事制を導入 p81
「GHQのいけにえ」 p81
4. 時事との紳士協定を解消 p82
完全な競争関係に p82
5. 有限会社「出版部」発足 p83
理事会のお墨付き p83
聖域へ乗り込む p83
第2節 3社、共同を脱退 p83
1. 創立以来の危機に直面 p83
共同依存度の低下理由に p83
共同強化を決議 p83
松方、全社員に奮起促す p83
激励電が殺到 p83
2. 危機克服し再出発 p86
事前に脱退情報 p86
外通は共同を全面支持 p86
新聞組合主義揺るがず p86
3. 脱退の波紋 p87
外れた3社側の目算 p87
専売制が復活 p87
サービス改善課題に p87
4. 3社の外信復帰 p89
国家的見地から認める p89
別途積み立て p89
第3節 漢テレ機械化推進 p90
1. 通信施設の拡充 p90
文字電送を無線化 p90
専用線を二重化 p90
2. ページ式文字電送 p91
テープの難点克服 p91
3. 漢テレ・モノタイプ方式の登場 p91
手作業からの解放 p91
電話送稿の時間半減 p91
4. 3社の北海道進出 p92
新聞・通信界に衝撃 p92
3社三様の方式 p92
迎え撃つ地元紙 p92
道新、圧倒的な強さ p92
5. 遅れた共同の技術革新 p94
ページ式文字電送に固執 p94
漢テレ導入を発議 p94
ブロック3紙が先行 p94
強い加盟社の関心 p94
符号統一に成功 p94
導入計画繰り上げ p94
組合、発注受け入れ p94
第4節 電波部門へ進出 p97
1. ラジオ・テレビ局スタート p97
民放開花の年 p97
2. ニュース映画構想 p97
同盟時代への郷愁? p97
3. 共同テレビビジョンニュース社創立 p98
3社系列に対抗 p98
ニュース主体にサービス p98
橋頭保づくり挫折 p98
第5節 英文発信と対外関係 p99
1. ニュースレター発刊 p99
戦後初の対外媒体 p99
英文モールス放送も開始 p99
2. 日本語放送も成長 p100
ローマ字放送 p100
船舶向けも有料化 p100
3. 外国通信社との提携進む p101
ロイターと長期協定 p101
ロイター出向者たち p101
協定ラッシュ p101
第6節 近代化へ苦悩の模索 p101
1. 編集綱領の制定 p101
新聞協会が編集権声明 p101
編集方針の模索 p101
社是に代わる新方針 p101
社内言論の活性化に貢献 p101
2. 共同経営に批判強まる p104
労使紛争激化 p104
延べ65時間スト p104
いったんは進退伺 p104
3. 「新体制」発足 p106
赤字回避課題に p106
常務理事を棚上げ p106
管理職の賃上げ保留 p106
4. 松方専務理事が辞任 p107
予算枠超えスト回避 p107
手ぬるさとがめる p107
協調路線の破たん p107
4通信社で働く p107
第7節 海外自主取材スタート p110
1. 広がる支局網 p110
ボーン賞受賞 p110
まず欧米3支局開設 p110
2. 短期特派員も派遣 p111
アジア、中近東へ p111
初の中国入り p111
沖縄一番乗り p111
3. フジヤマのトビウオ p112
九つの世界新記録 p112
初の国際報道戦 p112
苦心の写真電送実る p112
4. 対日講和会議 p113
49カ国が調印 p113
スクープ合戦 p113
日本から大報道陣 p113
東京調印説で誤報 p113
5. スターリン・メッセージ p116
早朝の電報 p116
GHQもびっくり p116
モスクワ一番乗り p116
第8節 下山、三鷹、松川―国鉄3事件 p117
1. 人員整理背景に p117
国鉄が主な対象 p117
2. 取材現場三つ抱える p118
遺体発見をスクープ p118
旅館に長期合宿 p118
NHKに後れ取る p118
3. 白書、鑑定書抜く p119
目撃証言を集大成 p119
他殺鑑定書を入手 p119
第9節 朝鮮戦争が突発 p119
1. 出撃・補給基地日本 p119
北朝鮮が奇襲攻撃 p119
UPが2時間抜く p119
朝鮮デスクを特設 p119
2. レッドパージのあらし p121
報道機関に集中 p121
共同、34人を解雇 p121
社会部長が抗議の退社 p121
被解雇者の復職拒否 p121
労組三つに分裂 p121
第10節 55年体制 p124
1. 講和条約発効 p124
揺らぐワンマン体制 p124
3社に十分対抗 p124
バカヤロー解散 p124
二つの改革 p124
2. 吉田長期政権の終えん p125
造船疑獄起こる p125
ホットな抜き合戦 p125
解散説のなか総辞職 p125
首相発言に新聞界反発 p125
3. 二大政党の発足 p127
共同プラス加盟社方式 p127
社会党が再統一 p127
保守合同成る p127
4. ドムニツキー書簡 p128
日ソ交渉橋渡し p128
日ソ国交回復 p128
共同記者に依頼 p128
杉原ルートへアタック p128
感謝電40通も p128
12時間前に宣言入手 p128
5. 石橋内閣誕生 p130
総辞職速報リード p130
第11節 基地闘争と原水禁運動 p131
1. 砂川事件 p131
繰り返す衝突 p131
警官隊の一方的暴力 p131
伊達違憲判決 p131
恵庭事件 p131
2. 相馬ケ原事件 p132
銃声が呼んだ国際的波紋 p132
適用罪名でリード p132
3. 第五福竜丸事件 p133
読売デスクのカン p133
深夜の情報 p133
原水爆の恐怖まざまざと p133
広島アピールを採択 p133
4. 科学部発足 p134
原子力に強い記者 p134
原子の火ともる p134
第12節 それぞれの帰国 p135
1. 引き揚げ再開 p135
66万人が舞鶴に p135
2. 中国、ソ連から p135
戦後最初の報道戦 p135
「ラジオシップ」活躍 p135
縁の下支えた夫妻 p135
3. 北朝鮮帰還 p137
急増した在日朝鮮人 p137
夕やみに船影捕らえる p137
第13節 南極観測 p138
1. 国際地球観測年 p138
アジアからは日本 p138
2. 共同の取り組み p139
「傍観はできない」 p139
3. 自前で事前報道 p139
冷凍母船に乗って p139
10人超す南極経験者 p139
第14節 菅生事件 p141
1. 警察のでっちあげ p141
姿消した「市木」 p141
戸高巡査部長も無罪 p141
2. 共同特捜班の追跡 p141
潜伏先をアタック p141
「戸高」本人と確認 p141
第15節 皇太子結婚 p143
1. 4年前から報道戦始動 p143
差し控えた事前報道 p143
“徳さん”の死を超えて p143
2. 最新写真をスクープ p144
社内から決定的情報 p144
親族会議に迫る p144
第16節 魔の“26日”―泥と海水との格闘 p145
1. 洞爺丸事故 p145
出港、急転し暴風に p145
素人潜水取材 p145
2. 諌早大水害 p146
万策尽きる p146
ハム情報の信ぴょう性 p146
3. 伊勢湾台風 p147
明治以降最大の被害 p147
8時間の踏破行 p147
膨らむ死者数 p147
第17節 誤報の教訓 p149
1. もく星号墜落 p149
放送、紙面に救助説 p149
共同も救助説流す p149
2. セイロンの日食 p150
第18節 編集体制の整備と強化 p151
1. 機構の変遷 p151
編集局 p151
特信局 p151
整理部 p151
記事審査室 p151
論説委員室 p151
企画委員室 p151
出稿部の独立 p151
2. 編集会議と編集メモ p154
編集局の一隅で p154
改善重ねたメモづくり p154
3. 連載企画の出稿 p155
増ページ競争に対応 p155
電送解説の登場 p155
4. 各種マニュアルの発行 p156
記者ハンドブック p156
《コーヒーブレーク》 NP
「社報ようやく誕生」 p82
「特ダネ印1号」 p88
「忘れたレーンコート」 p120
「マッカーサー元帥解任」 p123
「タロ、ジロのもとへ」 p140
「取材陣不明騒ぎ」 p147
「失そう歌姫を追え!」 p149
「『編集局』の誕生」 p152
「小松川女高生殺しのケース」 p156
第3章 通信変革期(岩本時代)―1959年12月~1966年3月― p157
第1節 岩本・再建体制 p157
1. 岩本専務理事就任 p157
増ページ進む p157
経営の混乱収拾へ p157
予算やっと成立 p157
2. 労協失効―労使連絡委を設置 p158
労協改定案を提示 p158
労協が失効―無協約に p158
新共同労組が発足 p158
202時間の長期スト p158
3. 長期計画の策定 p160
古くて新しい問題 p160
加盟社協力で定款改正 p160
4. 新社屋建設計画動き出す p162
理事会にアピール p162
電電公社跡地を入手 p162
建設費総額32億円に p162
新社屋へ移転 p162
5. 産経が脱退 p163
不況の風 p163
広告落ち込む p163
6. 時事通信社の攻勢 p163
全面戦争の気構え示す p163
7. 加盟社協力を推進 p164
第2次長期計画を策定 p164
神奈川新聞がニュース提供 p164
加盟社内に支局デスク p164
8. 危機乗り切りへ諸施策 p165
初のマイナス成長 p165
企画本部で増収策練る p165
9. 幻のアジア・ニュース・センター p166
初の本格構想 p166
政・財界の協力得られず p166
10. 社長制導入 p168
岩本、辞任のハラ固める p168
解消できなかった不安材料 p168
第2節 新段階迎えた機械化 p169
1. 漢テレが主力線に p169
送信目標軽く突破 p169
文字電送が退役 p169
2. 5線体制の確立 p170
四つのテーマ p170
同報無線のFM化 p170
多種目送信実現へ p170
3. カナテレ送信 p171
手拾い解消へ p171
独自の構想で開発 p171
初の協会賞受賞 p171
全国紙もカナテレ受信 p171
4. 漢テレの影響 p173
加盟社側の変革 p173
整理部模様替え p173
筆耕職場が消滅 p173
編連差し込み p173
支局総人員が激減 p173
5. 漢テレファクスの開発 p175
電子式プリンター p175
日経漢テレ・コンバーター p175
初の社長賞 p175
第3節 国際局の発足 p176
1. 本格化する対外発信 p176
国際通信社へ第一歩 p176
2. 世界初の電波新聞 p177
情報量は2倍半に p177
充実する紙面 p177
離島にもニュース届ける p177
3. KWSがスタート p178
チッカー配信が実現 p178
顧客拡大に苦労 p178
第4節 放送サービスの発展 p179
1. ラジオ・テレビ専用線開設 p179
民放各社から承諾書 p179
録音サービスもスタート p179
現場取材に乗り出す p179
放送ニュースをモニター p179
2. 放送懇話会が発足 p180
定期的に意見交換 p180
第5節 安保条約改定 p181
1. 安保改定交渉始まる p181
自民単独で強行採決 p181
女子学生が死亡 p181
2. 各社共同宣言 p182
改定反対1紙もなし p182
首相発言に反発 p182
地方紙が共同行動呼び掛け p182
48紙が宣言載せる p182
3. 報道の現場で p184
「この目で見た」 p184
23人が負傷 p184
筆が回らないもどかしさ p184
4. いわゆる偏向問題 p185
不安抱いた加盟社 p185
審査機能を強化 p185
第6節 池田内閣発足 p186
1. 国民所得倍増計画 p186
新聞は批判的 p186
2. 選挙報道の進展 p187
定着した選管一本化報道 p187
漢テレ1本立てに転換 p187
3. 右翼テロが頻発 p188
浅沼委員長刺殺 p188
決定的瞬間 p188
ストロボの威力 p188
嶋中邸テロ事件 p188
三無事件 p188
第7節 争議と災害と―三井三池で p191
1. 三池争議 p191
総資本と総労働の対決 p191
回避されたホッパー決戦 p191
延べ1150人を動員 p191
2. 三池ガス爆発事故 p192
昭和最大の炭鉱惨事 p192
「万分の一も書けぬ」 p192
第8節 高度成長政策の展開 p194
1. 国際経済へ仲間入り p194
活路求める開国論 p194
池田首相の訪欧 p194
日本経済の成人式 p194
2. 国際会議めじろ押し p195
政府が箱根に移った p195
エカフェ、IMF総会も p195
3. 高度成長のひずみ露呈 p196
公害の典型例・水俣病 p196
地元医師が執念、イタイイタイ病 p196
厚生省、やっと発表 p196
加害行為隠ぺいを意図 p196
第9節 東西冷戦下で p198
1. キューバ危機 p198
海上封鎖を断行 p198
外信部が奮闘 p198
2. ケネディ米大統領暗殺 p199
UPIフラッシュ p199
8紙が朝刊に突っ込む p199
テレビ初中継で速報 p199
3. 中国核実験でスクープ p201
水爆の予備実験説報じる p201
10年ぶりに“あだ討ち” p201
4. 「アジア大会存在せず」 p202
東京五輪流産の危機 p202
かんこう令くぐりスクープ p202
第10節 日中関係の進展 p203
1. L・T貿易 p203
積み上げ方式で正常化 p203
2. 日中記者交換が実現 p204
6年ぶり支局再開 p204
第11節 日韓基本条約の締結 p204
1. マラソン会談妥結 p204
2. 両国で反対運動 p205
論調、賛否両論に p205
3. 韓国議事録をスクープ p205
第12節 東京オリンピック p205
1. ロンドンからローマへ p205
通信社シートを獲得 p205
2. 関連総予算1兆円 p206
東京近代化に貢献 p206
視聴率85% p206
3. 各社の報道体制 p207
動員、空前の規模 p207
4. 共同の取り組み p208
8線体制で送信 p208
オリンピック総本部発足 p208
二面作戦が成功 p208
シンフォニーのように p208
写真プーラーもこなす p208
カラー配信 p208
第13節 繁栄の陰で事件、事故多発 p211
1. 相次ぐ誘拐事件 p211
雅樹ちゃん事件 p211
誘拐報道協定 p211
吉展ちゃん事件 p211
2. 東京市街戦 p213
共同記者負傷 p213
3. 鉄道事故が続発 p214
三河島駅構内事故 p214
困難極めた現場取材 p214
鶴見二重衝突 p214
大惨事を体験、第1報 p214
タクシー情報 p214
4. 津波と地震と p217
チリ地震津波 p217
機上から雑観送稿 p217
新潟地震 p217
機動力で後れ取る p217
新潟日報に協会賞 p217
《コーヒーブレーク》 NP
「フ首相死亡で誤報騒ぎ」 p199
「殺しだ。どこで?アメリカだ」 p200
「フラッシュはかく打たれた」 p201
「作家・画家たちの競演」 p211
「現場一番乗り」 p213
「もう1人の生還者」 p216
「通信バトの興亡」 p219
第4章 基盤拡大期(福島時代)―1966年3月~1978年6月― p221
第1節 福島社長が登場 p221
1. 時代の転換期 p221
第2次高度成長 p221
技術革新急ピッチ p221
2. 危機克服へ切り札 p222
国連総会から帰り受諾 p222
第一声に「金塊沈船論」 p222
3. ジェトロ入居問題 p223
買い取りで決着 p223
4. 都知事選出馬問題 p223
政、財界の説得断る p223
5. 3社問題再び論議 p224
一部内信をテスト送信 p224
理事会が紛糾 p224
6. 「加盟社協力」の再燃 p225
初の加盟社編集局長会議 p225
7. AP・DJの独占権獲得 p226
経済サービスに踏み込む p226
8. 11年ぶり労組統一 p226
共闘積み重ね p226
第2節 財政基盤を整備・拡充 p227
1. 予算規模が拡大 p227
赤字予算案でスタート p227
赤字克服策を提示 p227
2ケタ伸び率を維持 p227
2. 財務制度を近代化 p228
通り抜け勘定廃止 p228
用途別勘定の設定 p228
3. 産経新聞が復帰 p229
共同の赤字脱却に貢献 p229
4. 関連企業の整備統合 p229
4社統合でKK共同発足 p229
5. 人員の抑制 p229
一時は1500人台に p229
人員再配置計画 p229
支社局の32人を減員 p229
6. 60歳目指し定年延長 p230
定年、段階的に延びる p230
7. 過勤制度是正は失敗 p231
「過勤料は生活給」と組合 p231
8. 社費体系の改定 p231
発行部数と定価が基本 p231
9. 業務局が発足 p232
福島社長の指示で独立 p232
10. 在職12年、福島社長が辞任 p232
渡辺専務にバトンタッチ p232
早くから辞意漏らす p232
牛刀イズムの元外務官僚 p232
第3節 電算システムを導入 p234
1. 選挙報道で先べん p234
産経、読売が口火 p234
各社が相次ぎ導入 p234
共同、都知事選で初使用 p234
選挙で不可欠の武器に p234
共同、TOSBACを導入 p234
電算機使用で時短実施 p234
2. 電算化へ環境づくり p236
システム計画実施本部 p236
加盟社専門委を設置 p236
通信近代化諸計画 p236
3年で30億円以上投資へ p236
電算機種決定 p236
東京、大阪に集中設置 p236
遅れた電算機室工事 p236
3. 電算システムを本番運用 p238
電算機を搬入 p238
社長が火入れボタン p238
電算時代が幕開け p238
新聞協会賞受ける p238
4. ワープロの先駆け―RKC開発 p239
外信職場のニーズから p239
精度98.8%まで向上 p239
歴史的役割終える p239
5. 運動記録を電算処理 p242
関係相撲の手作業解消 p242
プロ野球もカード方式で p242
6. 野田受信所の盛衰 p243
共同の“耳”の役割 p243
有線・衛星化で廃止 p243
7. VHF網の強化 p243
取材の広域化に対応 p243
8. 制作部が印刷工場に p244
初期は社内最大所帯 p244
新鋭機器を続々導入 p244
第4節 発展する対外関係 p245
1. 外国通信社との協力 p245
ロイター回線を借用 p245
タス、新華社との提携 p245
2. OANAの活動 p246
8社でスタート p246
「二つの中国」で共同窮地に p246
北京特派員追放、OANA脱退 p246
第5節 放送サービスの発展 p247
1. 支社の放送サービス強化 p247
契約社の要望に対応 p247
支社ラ・テ要員を増強 p247
2. ラジオ・テレビ2番線を開設 p248
並行送信始まる p248
3. 報道責任者会議 p248
全国会議とブロック会議 p248
4. テレビ部新設 p248
民放にカラー写真配信 p248
5. 録音サービス p249
経団連事件で特ダネ p249
6. 放送協議会が発足 p249
放送懇話会が発展的解消 p249
共同加盟の道開いたが... p249
第6節 佐藤政権の展開 p250
1. 最長不倒の長期政権 p250
証券不況が深刻化 p250
山一証券へ日銀特融 p250
大型合併相次ぐ p250
黒い霧事件 p250
2. 電算化進む選挙報道 p252
黒い霧選挙 p252
開票速報にも電算機 p252
沖縄返還控え師走選挙 p252
3. 沖縄が祖国復帰 p253
「核抜き返還」を指示 p253
「核密約」付き返還 p253
「住民の立場で報道せよ」 p253
那覇共同、3人体制に p253
精力的に企画出稿 p253
4. 外務省公電漏えい事件 p256
西山記者ら逮捕 p256
最高裁で有罪確定 p256
「国民の知る権利」前面に p256
5. 揺らぐ非核3原則 p257
共同原稿が疑念増幅 p257
ラロック証言報道 p257
「B52水爆パトロール」の衝撃 p257
社長が偏向批判 p257
社長団交で論議 p257
6. 日米繊維交渉 p260
糸で縄を買った?日本 p260
「業界自主規制」を抜く p260
7. ニクソン・ショック p261
ドル時代の終えん p261
速報リード p261
取材合戦海外へ p261
8. 佐藤首相が退陣 p263
激動に対処できず p263
退陣記者会見の異変 p263
記者団も冷静さ欠く? p263
第7節 田中から三木、福田へ p265
1. 日中国交を回復 p265
自民、意外に振るわず p265
世論調査方式を導入 p265
高かった的中率 p265
2. 石油ショック p266
狂乱物価と円高騰 p266
安定成長政策に転換 p266
列島改造路線に批判 p266
減ページ対策 p266
重層的な取材態勢 p266
3. 金大中事件 p268
4. 三木政権の誕生 p268
田中首相退陣 p268
「文春」の田中金脈暴露 p268
5. ロッキード事件 p268
30億円超す工作資金 p268
田中前首相を逮捕 p268
1審判決は懲役4年 p268
未明の外電 p268
ワシントン支局員走る p268
社会部が総動員 p268
張り込み延べ500回 p268
いきなり頂上作戦 p268
出稿量が最高記録 p268
明日はわが身 p268
6. ロッキード選挙 p272
辛うじて過半数 p272
各社が積極報道 p272
初めて全国で世論調査 p272
科学的予測を導入 p272
議席予測で退勢ばん回 p272
選挙調査室を新設 p272
第8節 70年安保めぐる諸状況 p275
1. 安保条約自動延長 p275
高まる反対闘争 p275
根強い安保改革論 p275
2. 倉石農相発言 p275
ストレート出稿を決断 p275
国会審議ストップ p275
農相辞任で決着 p275
3. 再び安保反対闘争 p277
爆発した東大紛争 p277
安田講堂攻防戦 p277
「学生死亡」の誤報 p277
日大闘争の引き金に p277
圧力無視し出稿 p277
米原子力空母阻止闘争 p277
共同、40人を動員 p277
共同の雑観記事を改ざん p277
日航よど号ハイジャック事件 p277
各社ソウルに大動員 p277
事件の最中に大スト p277
連合赤軍事件 p277
肉体の限界に挑む p277
池田カメラマン倒れる p277
企業爆破テロ p277
4. プエブロ号事件 p282
航空取材で涙のむ p282
乗組員と会見 p282
5. 成田空港反対闘争 p282
流血の歴史 p282
今井記者が殉職 p282
管制室破壊事件 p282
成田通信部から支局へ p282
6. 三島由紀夫事件 p284
衝撃的な割腹自殺 p284
労組、一斉休憩を解除 p284
7. 事件取材が国際化 p285
テルアビブ空港乱射事件 p285
日航機乗っ取り p285
KLM機ハイジャック p285
仏大使館襲撃 p285
超法規出国 p285
日航機ハイジャック p285
第9節 ベトナム報道 p287
1. 発進・支援基地日本 p287
大戦後最大の戦争 p287
高まる反戦運動 p287
「ベトナム戦争と日本」を追う p287
2. ベトナム報道批判 p287
米国がアカ攻撃 p287
海兵大隊戦記の放映中止 p287
「国益」に勝った「知る権利」 p287
3. 共同の現地報道 p288
55年に支局開設 p288
テロ・白兵戦の渦中に p288
2人が国外退去に p288
ラオス侵攻作戦抜く p288
停戦・和平取材展開 p288
歴史の目撃者志した石山 p288
パリ和平会談 p288
最後の西側残留記者 p288
出国者に原稿託す p288
ハノイ支局を開設 p288
第10節 新段階の中国情勢 p291
1. 文化大革命 p291
北京市長らを糾弾 p291
9特派員にボーン賞 p291
日本各社に圧力 p291
四人組逮捕、文革が終息 p291
鄧小平が復活 p291
2. 藤山氏訪中に同行 p293
日中関係改善に意欲 p293
人事交流で進展 p293
ただ1人の同行記者 p293
支局再開を工作 p293
3. ピンポン外交 p295
駆けめぐった至急報 p295
ひそひそ話をキャッチ p295
多角取材で確認 p295
チームワークの勝利 p295
4. 日中国交正常化 p296
中国も姿勢転換 p296
日中条約を締結 p296
張香山副会長と単独会見 p296
条約全文を事前出稿 p296
第11節 海外取材の展開 p298
1. ポンド切り下げ p298
国際収支悪化背景に p298
ワシントン支局の殊勲 p298
廊下で聞き込む p298
2. アポロ打ち上げ p299
ソ連を追い越せ p299
月面に「小さな一歩」 p299
時差との闘い p299
映像と交信記録が頼り p299
3. 天皇・皇后の海外諸国訪問 p300
訪欧の旅 p300
訪米の旅 p300
4. 元日本兵捜し p301
奇跡の生還 p301
戒厳令下の取材行 p301
ルバング通信社 p301
各社混成の取材陣 p301
元上官の命令で下山 p301
5. 在外2記者の殉職 p302
欧州問題で高い識見 p302
インドに情熱傾ける p302
第12節 航空機取材の明暗 p303
1. 全日空機羽田沖に墜落 p303
全員集合の号令 p303
さまよった末に p303
世界に流れた現場写真 p303
2. カナダ旅客機羽田で炎上 p304
他社経由で事故情報 p304
3. BOAC機富士山ろくに墜落 p305
フジヤマが招いた惨事 p305
密林の奥 p305
墜落機発見 p305
落下写真も入手 p305
4. 自社機がない憂うつ p306
空に自由戻ったが p306
薬師岳遭難取材 p306
プエブロ号事件 p306
空母ミッドウェー入港 p306
第13節 公害報道 p308
1. 高度成長の陰で p308
イタイイタイ病 p308
新潟水俣病 p308
四日市ぜんそく p308
水俣病 p308
2. 公害キャンペーン相次ぐ p309
カドミ報道口火切る p309
共同の特ダネ続く p309
第14節 科学・文化報道 p310
1. 心臓移植事件 p310
共同、速報でリード p310
容体急変をフラッシュ p310
不起訴処分 p310
スクープ温存し、抜かれる p310
反和田の大合唱 p310
2. 大阪万国博 p311
ミニ編集局 p311
開びゃく以来の大行事 p311
101人が大集合 p311
3. 高松塚古墳 p312
戦後最大の発見 p312
スタートで完敗 p312
橿原通信部新設 p312
4. 馬王堆漢墓 p314
原人以来の大発見 p314
幻の「考古学考察団」 p314
代表団メンバーに p314
全マスコミがトップ報道 p314
第15節 オリンピック p316
1. 夏季大会 p316
メキシコ(第19回) p316
ミュンヘン(第20回) p316
モントリオール(第21回) p316
2. 冬季大会 p317
グルノーブル(第10回) p317
札幌(第11回) p317
インスブルック(第12回) p317
第16節 編集体制の変革 p319
1. 編集局の改革 p319
編集総局制を導入 p319
社会部2人部長制 p319
改革、失敗に終わる p319
2. 編特合体 p320
編集局が特信局を吸収 p320
3. 整理本部 p320
総局制の置き土産 p320
4. 編集委員室 p321
専門記者を導入 p321
5. 芥川賞受賞 p322
田口哲郎が第1号 p322
6. ビジュアル報道の強化 p322
一発勝負から連写へ p322
写真整理誕生 p322
写真調査部が独立 p322
画信部員も現場へ p322
7. 速報メディアの開発 p323
チャイム速報 p323
チャイム音で苦心 p323
速報ファクスの運用 p323
《コーヒーブレーク》 NP
「福島社長の胸の内」 p225
「やはり野におけレンゲ草」 p252
「通産相にアタック」 p261
「首相番は通信社に」 p264
「ロ事件伝える第1報」 p270
「『オッス』に思わず返礼」 p272
「『近衛日記』のスクープ」 p315
「スポーツ報道の展開」 p318
第5章 情報化対応期(渡辺時代)―1978年6月~1985年6月― p325
第1節 渡辺体制がスタート p325
1. 冷戦雪解けの兆し p325
東側が積極外交 p325
世界同時不況 p325
2. 急ピッチの技術革新 p325
ニューメディア相次ぎ登場 p325
進むCTS化 p325
3. 飛躍への布石 p326
渡辺社長が就任 p326
総合企画室を強化 p326
4. 予算200億円台に p327
中長期課題踏まえ編成 p327
緊縮基調で連続黒字 p327
5. 過勤料制度改革を模索 p328
抜本的解決目指す p328
難産だった定年延長 p328
6. 本社スペース1.8倍増 p328
空港公団が退去 p328
レイアウト大変更 p328
第2節 経営基盤確立に全力 p329
1. テレレート導入 p329
ロイターへの挑戦 p329
高まった速報マインド p329
2. 新放送負担金体系に合意 p330
ネット局の扱いで難航 p330
現実的な措置 p330
ネット局も総会に出席 p330
報道局長会議スタート p330
3. 電波メディアに積極進出 p331
FMラジオ19局に出資 p331
4. 通信衛星利用に備える p332
CS利用実験に参加 p332
南極から写真電送 p332
日本衛星放送に参加 p332
第3節 ニューメディア時代 p334
1. NMフィーバー p334
当初は慎重に対応 p334
情報新時代が到来 p334
「新聞は死滅する」 p334
NM研究会が発足 p334
2. NMセンターを創設 p335
キャプテンに参加 p335
センター発足 p335
3. KINDSを開発 p335
新聞協会技術賞受ける p335
天皇が押しボタン操作 p335
CATV局が活用 p335
4. 文字放送にも参入 p336
テレビ電波のすき間利用 p336
テレモ日本に参加 p336
第4節 国際通信社への模索 p337
1. 浮上した「国策通信社」論 p337
発信の弱さに批判高まる p337
東京サミットが契機に p337
平泉委員会が建議 p337
国の介入にクギ刺す p337
通信社機能の強化提言 p337
通信社論は空振り p337
2. 緒につく国際回線網整備 p339
理事会長も督励 p339
北京線を音声級に強化 p339
日米専用線を開設 p339
3. 深まる外国通信社との交流 p340
社長が世界行脚 p340
半世紀の友好関係 p340
4. 拡大する海外配信 p341
有料契約が増加 p341
KNIを設立 p341
データベースに配信 p341
5. 共同、OANAに復帰 p342
中央社追放で道開く p342
ANNを創設 p342
共同アジア通信網を拡充 p342
6. 共同ファクス新聞 p343
1万号 p343
電子編集システム p343
海上保安庁から表彰 p343
第5節 通信体制を革新 p344
1. 第2次電算システム導入 p344
新聞のCTS化に対応 p344
基本方針まとめる p344
ACOS-450を選定 p344
2. 機能、格段に向上 p346
光通信をいち早く採用 p346
原稿滞留を一掃 p346
障害・災害対策も改善 p346
3. 紙面製作に直結 p347
加盟社の省力化に貢献 p347
株式・商品も選別 p347
拡大文字に対応 p347
4. 共同の省力化にも寄与 p348
株式の自動処理 p348
5電文ファイル p348
5. 校閲機能を強化 p349
訂正対策にVDT導入 p349
校閲班が発足 p349
第6節 スポーツ記録の電算処理 p349
競輪記録 p349
プロゴルフのデータも p349
K-MACS p349
第7節 ビジュアル化に対応 p351
1. 写真電送機器の改善 p351
写真電送システム p351
外電写真処理システム p351
高解像度ファクス p351
2. フィルムダイレクト電送機 p352
日本光学と共回開発 p352
電送時間を大幅短縮 p352
田中判決で初使用 p352
新聞協会賞を受賞 p352
3. ビデオ・デュープ開発 p353
テレビから静止画電送 p353
工業用装置からヒント p353
カラー装置も完成 p353
4. ロス五輪でカラー競争 p354
写真1097枚を出稿 p354
ラボ要員が活躍 p354
ダイレクト対電子カメラ p354
30人の取材陣派遣 p354
5. そのほかの五輪報道 p355
冬季レーク・プラシッド大会(第13回) p355
夏季モスクワ大会(第22回) p355
冬季サラエボ大会(第14回) p355
第8節 放送重視の姿勢明示 p356
1. ラジオ・テレビ専用線を高速化 p356
原稿滞留を解消 p356
キー局に漢テレファクス p356
2番線9600ボーに p356
2. カラー取材を一元化 p357
取材は写真部へ p357
予定サービス強化 p357
3. 放送チャイム導入 p358
全国向け速報に効果 p358
ローカル向けチャイムも p358
4. 大阪ラジオ・テレビ部が宿直実施 p358
最初は週6日 p358
5. 録音サービスに新機軸 p359
好評の特派員夫人報告 p359
6. 自主取材を再開 p360
7年ぶりに現場へ p360
ロッキード判決などを取材 p360
オンエア・サービス開始 p360
五輪を現地取材 p360
第9節 渡辺社長が勇退 p361
1. トップの座に実質10年 p361
「若い頭脳で革新を」 p361
酒井専務と交代 p361
アルバイトから社長に p361
第10節 共同電世界を走る p363
1. 近代化進める中国 p363
鄧復活を速報 p363
共同電終始リード p363
すさまじい取材 p363
「中国報道は世界一」 p363
2. 中越軍事衝突 p364
緊張する中越国境 p364
侵攻開始を抜く p364
ロイターも脱帽 p364
停戦決定もスクープ p364
3. 中ソ同盟条約廃棄 p365
またも辺見電独走 p365
解説、企画も好評 p365
4. ブレジネフ書記長死去 p366
世界的スクープ p366
全世界に転電 p366
静まり返る編集局 p366
各社編集局どよめく p366
社長賞と新聞協会賞 p366
第11節 自民党総裁選から東京サミットまで p369
1. 初の自民総裁予備選 p369
事前予測外れ p369
電算機は「大平優勢」 p369
2. 航空機疑惑事件 p369
社会部員の半数投入 p369
政治家4人が登場 p369
日商岩井に焦点 p369
海部前副社長を逮捕 p369
政治家逮捕できず p369
3. 東京サミット p372
「ウサギ小屋」批判 p372
石油が主要議題 p372
200人近くを動員 p372
人気のKWS p372
第12節 初のダブル選挙 p373
1. 総選挙で自民惨敗 p373
消費税導入を表明 p373
判定ノーミス p373
2. 国民無視の「40日抗争」 p374
非主流派、大平首相に退陣迫る p374
難航した組閣 p374
3. ダブル選挙で自民圧勝 p375
不信任の見通し誤る p375
全天候型シフト p375
開票用電算機探し p375
首相急死で自民圧勝 p375
圧勝予測できず p375
定時中間速報間引く p375
4. 靖国合祀をスクープ p377
企画取材の副産物 p377
あっさり認める p377
第13節 激動の韓国 p378
1. 金大中事件はKCIAの犯行 p378
米国務省文書で特ダネ p378
米国務省慌てる p378
2. 朴大統領射殺事件 p379
犯行はKCIA部長 p379
早朝の第1報 p379
正確だった読み p379
3. ソウル支局一時閉鎖 p380
5.17政変と光州事件 p380
緊急事態下の閉鎖命令 p380
7本の共同電指摘 p380
林支局長の反論 p380
朝日、時事支局も閉鎖 p380
281日ぶり支局再開 p380
4. 大韓航空機撃墜事件 p382
NHKニュースが先行 p382
ソ連機が緊急発進 p382
否定された不時着情報 p382
交信記録を入手 p382
米ソ両国が非難応酬 p382
稚内が国際取材基地に p382
KWSが活躍 p382
第14節 行政改革と経済摩擦 p385
1. 第2臨調原案の取材戦 p385
政治生命懸けた首相 p385
「新聞に出過ぎる」 p385
国鉄最終案スクープ p385
2. 地方行革に不満噴出 p386
全地方自治体長にアンケート p386
回収率85%超 p386
内政部の足取り p386
3. 自動車の輸出規制 p388
生産台数世界一 p388
取材切り替えが成功 p388
数字ピタリ一致 p388
米自動車産業を集中取材 p388
4. 市場開放の圧力 p389
「なりふり構わぬ」米国 p389
ブロック書簡入手 p389
経済摩擦で長期連載 p389
第15節 中曽根内閣とロッキード事件判決 p390
1. 鈴木首相が突然退陣 p390
夕刊滑り込み p390
2. 中曽根当選予測的中 p391
共同が世論調査 p391
政界に大反響 p391
3. 中曽根内閣の発足 p391
対韓電撃外交 p391
不沈空母論 p391
4. 首相の犯罪に懲役4年 p392
「計り知れぬ病理的影響」 p392
開廷3分後にチャイム p392
加盟44紙が号外 p392
9900行滞留なし p392
5. ロッキード判決解散 p394
自民惨敗し、連立内閣 p394
年内選挙と読む p394
狂った選挙予測 p394
二つの新送信方式 p394
第16節 事件、事故と長編企画 p396
1. 敦賀原発事故 p396
暁の発表 p396
編集参考情報流す p396
現地に15人投入 p396
秘密主義の壁破る p396
育つ原発記者 p396
チェルノブイリ原発事故 p396
2. グリコ・森永事件 p398
もたついた協定 p398
「かい人21面相」 p398
警察の失態 p398
やっと共同にも挑戦状 p398
異例の報道協定成立 p398
未解決のまま協定解除 p398
劇場型犯罪 p398
3. 日本の幸福 p401
215回の長編 p401
投稿呼び掛ける p401
新聞協会賞を受賞 p401
第17節 編集局を強化 p402
1. 予定センター設置 p402
「予定もニュース」 p402
冊子を発行 p402
パソコン通信網に p402
2. スポーツ紙対策 p403
レジャー・スポーツ部を2分 p403
レジャー文化部 p403
スポーツ特信部 p403
3. 記事検索システムを開発 p404
編集支援に効果 p404
《コーヒーブレーク》 NP
「夫人の録音第1号」 p359
「世界から祝電」 p368
「“商社班長”スカウトされる」 p372
「顔引きつる総裁秘書」 p376
「最悪の場所」 p384
「ブー・フー・ウー」 p386
「傍聴券抽選で一喜一憂」 p394
第6章 多機能展開期(酒井時代)―1985年6月~1991年9月― p405
第1節 厳しい経営環境 p405
1. 強まる全国紙の攻勢 p405
設備投資に追われる加盟社 p405
2. 酒井社長が就任 p405
多機能通信社づくりへ p405
3. 発足以来の超緊縮財政 p406
0.7%の伸び p406
4. 連絡関係職員を再配置 p407
送信業務を本社に集約 p407
第2節 過勤制度改定に努力 p407
1. 社長が決意表明 p407
“共同のがん” p407
2. 労使が本格交渉 p408
社回答を小差で否決 p408
第3節 緊急課題への対応 p409
1. 時差ゼロ時代 p409
速報第一 p409
2. スポーツ記録の独占 p409
スポーツ情報センター p409
競艇 p409
競馬 p409
3. 経済ニュース取材拡大 p410
産業部が誕生 p410
金融証券部が発足 p410
経済特集を出稿 p410
4. 海外取材・通信網の充実 p412
支局増設と記者増員 p412
世界一周専用回線 p412
新華社との競合解消 p412
5. ビジュアル強化 p413
「マック」の登場 p413
高速写真電送 p413
6. 大型通年企画 p415
目玉商品に成長 p415
ベストセラー誕生 p415
7. データベース構築 p416
朝日社告にショック p416
加盟社との連動 p416
K-WINDSと命名 p416
パソコン通信 p416
8. 英文アジア報道を拡充 p418
英文ライターを増員 p418
送信手段を近代化 p418
サービス時間を延長 p418
9. 放送サービスの改善・強化 p418
24時間体制 p418
映像サービス p418
映像取材再開 p418
自前のクルー p418
10. ハイテク駆使した五輪報道 p420
夏季ソウル(第24回) p420
記録を電算処理 p420
冬季カルガリー(第15回) p420
第4節 第3次電算計画 p421
1. フレンズ運用 p421
拡張性目指す p421
稼働が大幅遅延 p421
ようやく本格運用 p421
2. 統合選挙システム p423
ダブル選挙 p423
正確な予測値 p423
3. 外部データ処理システム p424
「時期もの」に対応 p424
4. 校閲チェックシステム p424
ミスパンチ追放 p424
訂正減少に効果 p424
第5節 歴史的汚点と社長交代 p425
1. 盗用事件明るみに p425
朝日が指摘 p425
社長以下を懲戒処分 p425
2. 善後措置 p426
理事会、特別委を設置 p426
「重大な欠陥」指摘 p426
編集長制導入 p426
審査委員会 p426
3. 酒井社長が退陣 p428
任期残して p428
第6節 戦後総決算 p429
1. 臨教審の教育改革 p429
6・3制の見直し p429
審議会の舞台裏を報道 p429
第1次答申案入手 p429
2. 公定歩合引き下げ p431
下げ幅と実施日 p431
3. 食管制度廃止の素案抜く p431
政府・自民党を慌てさす p431
幻の記者会見 p431
記事取り消しを拒否 p431
第7節 相次ぐ国際的スクープ p433
1. 共産圏要人の死去 p433
チェルネンコ書記長死去 p433
レ・ズアン書記長死去 p433
2. 中国共産党の重要文書 p435
急速な民主化運動 p435
中国政治の流れ解明 p435
辺見記者、国外退去に p435
「小異を残して大同を求める」 p435
「血の日曜日」 p435
3. ゴルバチョフ大統領とソ連崩壊 p437
共産党独裁放棄 p437
廊下トンビ p437
クーデター p437
インタファクス p437
大統領辞任 p437
第8節 マスコミ批判噴出 p439
1. 豊田商事事件 p439
衆人環視下の凶行 p439
マスコミはやじ馬か p439
2. ロス疑惑事件 p440
異常な過熱報道 p440
住民と小競り合い p440
第9節 悪戦苦闘の大惨事取材 p441
1. 日航機墜落事故 p441
最悪の取材現場 p441
「7人生存」の誤報 p441
名簿報道で後れ p441
写真送信でつまずく p441
フジテレビの現場中継 p441
2. 雲仙・普賢岳の噴火 p445
大規模火砕流で惨事に p445
大動員で長期戦 p445
ヘリ常駐、SNG利用 p445
第10節 フィリピン政局と事件報道 p448
1. アキノ政権誕生 p448
マルコス独裁政権 p448
異常な大統領選挙 p448
的確な見通し p448
支局助手に感謝状 p448
2. 若王子氏誘拐事件 p450
安否不明 p450
犯人から届いた写真 p450
要請断り出稿 p450
「救出」の誤報騒ぎ p450
136日ぶりの生還 p450
「日本赤軍の犯行」 p450
第11節 政権交代 p452
1. ポスト中曽根総裁選 p452
田中派、骨肉の争い p452
中曽根裁定 p452
2. 耐え抜いて勝つ p453
竹下氏に軸足 p453
安倍優勢説飛び交う p453
加盟社から「おめでとう」 p453
第12節 「昭和」から「平成」へ p455
1. 激烈な「Xデー」取材 p455
朝日の報道が口火 p455
予定稿テープ6万5000本 p455
日光浴の特ダネ写真 p455
天皇重体のフラッシュ p455
総合デスク p455
がん報道に踏み切る p455
最後のオオカミ少年 p455
Xデー到来 p455
発表9分前にスクープ p455
手順無視の好打 p455
速報は通信社の基本技 p455
列島自粛 p455
2. 史上最多の速報回数 p462
チャイム15回、ピーコ325回 p462
号外2000万部 p462
ラジオ・テレビ番組で苦心 p462
年号の変わる音を採録 p462
外電も共同電で速報 p462
3. 応援延べ5050人 p464
張り番が決め手 p464
弁当9万食 p464
4. 歴史の空白を埋める p465
天皇、皇后の手紙 p465
直接の“証言”に価値 p465
超一級資料を発掘 p465
草書体を解読 p465
5. 皇室嘱託撮影制度に幕 p467
秋篠宮の髪直し写真 p467
代表取材に移行 p467
第13節 調査報道と部際作業 p469
1. リクルート事件の発端 p469
朝日、事件の端緒を報道 p469
2. 調査報道 p469
連係プレー p469
真藤会長の疑惑 p469
マスコミ関係者も p469
3. 強制捜査 p471
政・官・財17人起訴 p471
第14節 テレビ時代の戦争報道 p472
1. 湾岸危機から戦争へ p472
発端 p472
戦争突入~終結 p472
2. 外国メディアへの依存 p473
テレプロマシー p473
泣きどころ p473
苦労したバグダッド入り p473
3. 不自由な条件下で p475
中東取材陣18人 p475
音声246本 p475
写真とグラフィックス p475
《コーヒーブレーク》 NP
「すごいことやった」 p410
「3時間も待てない」 p434
「居合わせなければよかった」 p440
「肉片とビバーク」 p442
「恐怖の脱出」 p448
「もみくちゃの写真部員」 p450
「身を潜めて竹下邸脱出」 p454
「トイレで確認」 p457
「勝負どころ」 p459
「メモ書き見て速報」 p461
「手ごわい共同」 p472
第7章 電子化推進期(犬養時代)―1991年9月~― p477
第1節 犬養体制スタート p477
1. 緊急の指揮官交代 p477
共同再建の決意 p477
2. 経営計画の策定 p478
経営戦略委員会 p478
三つのキーワード p478
臨時機構が発足 p478
業務刷新本部 p478
多機能推進本部 p478
電子編集実施本部 p478
恒常組織に衣替え p478
3. 実施されたプロジェクト p480
ダイヤルイン p480
Jリーグ参入 p480
アイデア募集 p480
第2節 基盤整備 p481
1. 新勤務手当制度で労使合意 p481
交渉再開 p481
社長が団交に3度出席 p481
2. 再編・再配置に取り組む p482
支局宿廃と支社再編 p482
「理念交渉」 p482
3. 法務室を設置 p482
訴訟社会に対応 p482
通信社記事と加盟社の法的責任 p482
鑑定書を提出 p482
4. 人材育成・活用計画始まる p484
3年計画 p484
加盟社整理記者研修 p484
第3節 編集活動活性化へ向けて p484
1. 走り出した「表層深層」 p484
自由討論の産物 p484
「紙面権」を確保 p484
2. タコツボ脱出 p486
「表層深層」効果 p486
編集局遊軍を創設 p486
「書く場」を設ける p486
第4節 電子化時代への対応 p487
1. 電子編集システム p487
立ち遅れた取り組み p487
重い腰上げる p487
440台を第1次配備 p487
スペース確保に苦慮 p487
オンライン入力開始 p487
システム完成 p487
ワープロ入力装置 p487
2. 変わる編集局中枢 p490
ニュースセンターを設置 p490
校閲部を創設 p490
局デスク体制も改革 p490
3. 情報システム局誕生 p492
「連絡局」の名称に幕 p492
4. 進むシステム更改と新構築 p492
四つの基幹システム p492
総合スポーツシステム p492
スポーツマスター p492
総合画像システム p492
電送時間の短縮 p492
画像データベース p492
写真素材を多面的に活用 p492
5. 事務電算化 p495
総務・人事システム p495
LANを構築 p495
新職員番号 p495
第5節 国際通信社へ拡大路線 p496
1. KWSの拡充進む p496
電子編集を本格運用 p496
送信時間さらに延長 p496
国際専用回線が充実 p496
ユーロネットを構築 p496
2. 海外契約先が漸増 p498
北米とアジアで伸びる p498
内外240カ所に配信 p498
ボードサービスに進出 p498
「ニューズマシン」導入 p498
大使館配信を近代化 p498
好評のアジア大会公式報 p498
写真を海外に配信 p498
3. 海外通信部が多機能化 p501
パンチ職場が変容 p501
英文発信支え活躍 p501
4. 成長したファクス情報部 p502
「放送部」に幕 p502
「共同ニュース」2万号 p502
英語版を発行 p502
スクランブルで契約船舶急増 p502
5. 共同、OANA会長社に p503
新華社に引き継ぐ p503
新規加盟社相次ぐ p503
第6節 ラジオ・テレビ業務の拡充 p504
1. 次々にサービス強化 p504
ヘッドライン・ニュース p504
速報強化 p504
「予定」を本格出稿 p504
音と映像で前進 p504
芸能ニュースを制作 p504
電波電子メディア本部発足 p504
2. 東京メトロポリタンTV p507
資本と要員で参加 p507
24時間ニュース局 p507
3. ラジオ・テレビ総合システムを構築 p507
スターネット計画 p507
電子編集と連動 p507
第7節 崩壊したバブル経済 p508
1. 証券・金融不祥事が続発 p508
株価と地価が下落 p508
相次ぎ事件発覚 p508
イトマン事件 p508
証券不祥事 p508
東洋信金事件 p508
2信組不正融資事件 p508
兵銀と木津信組の経営破たん p508
大和銀行事件 p508
広域取材 p508
住専処理問題 p508
2. 平成不況が深刻化 p512
悪化した雇用情勢 p512
日銀総裁人事を抜く p512
公定歩合でまたヒット p512
民間経済を定点観測 p512
3. 各企業、懸命の体質改善 p514
大型合併 p514
ターゲットは素材産業 p514
三菱化成・油化が合併 p514
第8節 55年体制の崩壊 p516
1. 共和・佐川・ゼネコン事件 p516
政界の汚れ噴出 p516
新潟県知事のヤミ献金 p516
新潟日報と連携 p516
仙台、大阪支社が活躍 p516
金丸前副総裁を逮捕 p516
ゼネコン汚職 p516
中村元建設相を逮捕 p516
2. 不安定な自民党政権 p519
海部内閣が誕生 p519
政治潮流の変化読む p519
宮沢内閣が成立 p519
竹下派分裂 p519
3. 連立政権時代 p521
非自民連合・細川内閣誕生 p521
取材シフトに大変化 p521
様変わり官邸取材 p521
退陣の真意 p521
羽田内閣、不安定な出発 p521
4. 自社さ連立政権 p523
社会党委員長が首相に p523
自民党総裁に橋本氏 p523
「社会民主党」に改称 p523
新進党党首に小沢氏 p523
橋本政権が誕生 p523
5. 問われる政治報道 p524
見直される取材方法 p524
オフレコ取材が問題化 p524
揺らぐ記者倫理 p524
第9節 変わる選挙報道 p527
1. 共同・加盟社合同方式 p527
全国紙の協力態勢に対抗 p527
加盟社と一体化へ p527
新方式で参院選報道 p527
予測の難しさ痛感 p527
2. 委託された統一出口調査 p530
全キー局と契約 p530
高い精度で予測 p530
第10節 絶えない地域紛争 p531
1. カンボジアPKO p531
自衛隊派遣 p531
プノンペン支局再開 p531
防弾チョッキを配布 p531
ポル・ポト派の文書抜く p531
悪条件下で健闘 p531
2. ルワンダ内戦 p534
難民救援に自衛隊 p534
沼沢支局長殉職 p534
3. 旧ユーゴ紛争 p535
和平に合意 p535
五井支局長重傷 p535
第11節 皇太子妃報道 p535
1. 報道協定を締結 p535
取材競争が過熱 p535
宮内庁要請を受け入れ p535
雅子さん承諾にショック p535
2. 協定解除 p537
外国メディアが報道 p537
協定の問題点 p537
3. 結婚の儀 p538
写真に65人動員 p538
第12節 新聞協会賞ダブル受賞 p538
1. 「仮面の家」 p538
息子殺害事件の深層 p538
現代の家族病理に迫る p538
2「橿原神宮神楽殿炎上」 p539
消防車より早く現場に p539
ニュース写真の原点示す p539
第13節 飛躍するスポーツ報道 p540
1. IOC報道委入り p540
国際通信社の一員に p540
トップ会談が決め手 p540
五輪公式通信社 p540
2. Jリーグ発足 p541
苦しい人繰り p541
W杯取材 p541
3. 広島アジア大会 p543
李総統招待を取り消す p543
ドーピング露見 p543
4. スポーツデータ部誕生 p544
取材対象増加に対処 p544
競技大会記録が中心 p544
5. 野茂フィーバー p545
大リーグで新人王 p545
共同が密着取材 p545
6. 時差と闘う五輪報道 p546
冬季アルベールビル(第16回) p546
夏季バルセロナ(第25回) p546
冬季リレハンメル(第17回) p546
第14節 アジア取材で実力発揮 p548
1. 金日成主席死去 p548
注目される後継体制 p548
速報、共同がトップ p548
2. 陳雲氏死去 p549
北京電が独走 p549
3. スー・チーさん解放 p549
6年ぶりの自由 p549
通信員が活躍 p549
第15節 安全神話の崩壊―阪神大震災 p551
1. 戦後最大の被害 p551
死者6300人超す p551
遅れた行政の対応 p551
2. 断線が初動の妨げに p552
遅れた速報 p552
「肝に銘じたい」 p552
3. 総力挙げて取材 p554
臨時編集会議 p554
支局消滅でハンディ p554
全国規模で大動員 p554
表示ランプ赤一色 p554
職員らの安否確認 p554
4. 海外、放送などへの対応 p557
KWS、辛くも2位 p557
日系紙がトップ扱い p557
にわかリポーター p557
5. 強いられた長期戦 p559
神戸支局を増強 p559
お上意識を批判 p559
読みごたえある記事 p559
後方支援に苦心 p559
6. 神戸新聞の奮闘 p561
京都新聞との協定活用 p561
「報道の使命」 p561
合同企画で協会賞受賞 p561
共同の対応 p561
加盟社が復興支援 p561
民放も健闘 p561
7. 次に備える p564
教訓と課題 p564
総括と対策 p564
災害対策委員会発足 p564
8. 相互援助体制広がる p564
時事通信社と覚書交換 p564
覚書全文 p564
加盟社間協定 p564
9. 積丹半島のトンネル崩落事故 p566
死者20人 p566
寒さと睡魔との闘い p566
電子編集 p566
第16節 オウム真理教事件 p567
1. サリン殺人、監禁致死、薬物密造 p567
地下鉄サリン事件 p567
全国規模で捜査展開 p567
オウム教団に解散命令 p567
2. 取材と報道 p569
読売の元日報道 p569
危険な現場取材 p569
上九一色村取材 p569
節目で特ダネを連発 p569
モスクワ取材 p569
麻原教祖逮捕 p569
山梨日日が殊勲 p569
ヘリ4機を動員 p569
取材システム化 p569
イラストの効果 p569
抽選頼りの公判取材 p569
冒陳報道にOCR使用 p569
3. 報道のひずみが問題化 p574
各社が誤報をわびる p574
4. 対外発信と映像配信 p575
海外でも高い関心 p575
映像配信に新方式 p575
第17節 通信衛星の活用 p576
1. 新聞SNG p576
テレビが先行 p576
災害現場で活躍 p576
2. インマルサット p577
通信衛星のエース p577
大震災で国内初使用 p577
エベレストからの送信 p577
第18節 戦後50年報道 p579
1. 日米関係のニュース掘り出す p579
情報の自由法活用 p579
原爆関係文書スクープ p579
「天皇制維持は必要」 p579
CIA対日工作の実態 p579
2. 検証と展望 p581
総合連載企画 p581
3. 郵便切手によみがえる写真 p582
講和条約の写真など p582
第19節 創立50周年を迎えた共同 p583
1. 社長、記念式であいさつ p583
使命担って半世紀 p583
地方紙の紙面借りて成長 p583
通信システムの整備 p583
アジア・ニュースを重視 p583
冷戦時代の報道 p583
求められる洞察力と先見性 p583
中長期経営計画を策定 p583
人間の心と英知を信じて p583
2. 記念事業 p586
パーティーに620人出席 p586
世界の通信社報道写真展 p586
記念品はボールペン p586
3. 「21世紀への指針」を策定 p588
制度・組織改編の方向示す p588
通信社の使命と役割 p588
経営目標と制度改革 p588
多機能化するニュース活動 p588
通信部機能の見直し p588
KK共同の改革 p588
4. 英文社名の変更 p590
「Kyodo News」に p590
《コーヒーブレーク》 NP
「楽しい酒」 p485
「いい加減な記者倫理」 p526
「キーワードは『信頼』」 p529
「その時、神戸支局は」 p553
「ひざがカクカク」 p554
「題字を持って走っている」 p562
「第2の河野さんを出さない」 p575
「写真記者の使命感が伝わる」 p587
第3部 関連会社 p591
第1章 株式会社共同通信社 p591
第1節 関連4社時代 p591
1. (有)出版部の設立 p591
企画部でスタート p591
理事会、自助努力求める p591
時事と競争へ p591
企画部を発展的に解消 p591
「世界資料」と「世界年鑑」 p591
初収入にうれし涙 p591
2. 初期の営業活動 p593
「きさらぎ会」発足 p593
情報化時代先取り p593
ウインドー写真 p593
官庁サービス始まる p593
3. フォト・サービスを創設 p595
写真部窓口売りから発展 p595
苦労重ねた草創期 p595
業績を伸ばす p595
大阪万博でも活躍 p595
カラー化進む p595
4. 出版部から開発局へ p597
近代経営への脱皮に努力 p597
大福帳経理にメス p597
開発局に社名改称 p597
国際資料室スタート p597
社内に批判の声も p597
ファクスサービスの拡大 p597
アーカイブ廃刊で黒字復活 p597
5. 共同文化事業社の誕生 p600
PR時代到来に対応 p600
ワシントンに特派員 p600
6. 東京五輪関連事業の成功 p601
タイアップ企画登場 p601
豪華本オリンピアード p601
社団への寄与が増大 p601
7. 福島体制と政経懇話会 p602
「きさらぎ会」の拡張 p602
KK共同構想示す p602
「政経懇話会」発足 p602
8. 「FMfan」の創刊 p604
澄み切った音色 p604
不安の中の発進 p604
売り切れた創刊号 p604
伸びる予感 p604
FM時代の幕開け p604
9. 共同経済通信社の設立 p606
四半世紀の空白 p606
AP・DJと独占契約 p606
伸び悩む契約 p606
和文化で成功 p606
顧客外からも高い評価 p606
次々に商品開発 p606
10. 開発局の進展 p610
広がる収入基盤 p610
地方での販売強化 p610
累積赤字を解消 p610
アポログラフ成功 p610
行政研究会 p610
自治体が歓迎 p610
「横井庄一展」 p610
空前の記録の入場者数 p610
第2節 KK共同通信社時代 p614
1. 4社合併しKK共同発足 p614
経済通信社を存続会社に p614
198人体制で発足 p614
10年で社団並み収入を p614
好調なスタート p614
機構改革で環境整備 p614
相次ぐ大型企画 p614
FMfanの大躍進 p614
「別冊」も創刊 p614
調査センター新設 p614
自民総裁選で特ダネ p614
タスと合同世論調査も p614
2. 低成長下の諸施策 p620
「TVfan」の廃刊 p620
不採算部門を見直す p620
福島、KK共同会長に専念 p620
情報商品の不振深刻 p620
FM新聞センター p620
営業・企画推進本部で増収策 p620
「健康づくり」製作 p620
健康情報センター p620
国際資料室の多角業務 p620
専門情報を次々発刊 p620
3. 情報企画局の活動 p624
各局間の不均衡拡大 p624
伸び悩むきさらぎ会 p624
田中首相も講演 p624
週刊総合情報誌に衣替え p624
政経懇話会の発展 p624
会員1万2500人に p624
行政研究会の苦闘 p624
ファクス業務が伸長 p624
4. 写真局と企画業務 p628
採算維持が困難に p628
相次ぎ皇室企画 p628
宮内庁専属経験生かす p628
スポーツ速報展 p628
全国巡回写真展も p628
企業タイアップ p628
科学教育ビデオを受注 p628
5. 事業局の光と影 p631
3大タイトル戦 p631
盛況続く「J講座」 p631
文化催事 p631
インカ黄金展 p631
話題集めた中薬展 p631
試行錯誤繰り返す p631
ボロブドール展 p631
開幕4カ月で重荷に p631
スポーツ事業の全国大会 p631
6. 電子メディア・テレレートの導入 p635
二つの課題に直面 p635
経通局本格軌道に p635
光るAP・DJ報道 p635
時々刻々の勝負 p635
ベンチャー企業 p635
最初の出会い p635
導入に賛否両論 p635
厳しい契約交渉 p635
各種規制を突破 p635
独占販売権を獲得 p635
福島会長が退陣 p635
3年間伸び悩む p635
見え始めた上昇機運 p635
Kプラネット p635
契約破棄の恐れ p635
関係修復に成功 p635
7. 出版局の明暗 p641
相次ぎ単行本出版 p641
FMfanの退潮 p641
オーディオ不況も追い打ち p641
単行本でベストセラー p641
PR誌を育てる p641
第2の花形商品に p641
赤字幅広がる p641
主役の交代 p641
第3節 国際化への展開 p645
1. 専任社長制の実施 p645
上昇気運に乗る p645
バブル経済下で拡大 p645
倍々ゲームのテレレート p645
変容するオフィス p645
組合員の副社長 p645
創立15周年パーティー p645
3年間で売り上げ倍増 p645
2. 多機能展開と関連会社 p648
関連会社が10社に p648
広報通信サービスJBNを設置 p648
サッチャー招待や「祈りの石」 p648
「アジアネット」設立 p648
翻訳センター p648
KNIや共同テクノス p648
3. JLSの開発と世界進出 p651
VAN時代の到来 p651
KIIシステム p651
時事「メイン」の登場 p651
危機感が駆り立てる p651
同画面に日英両語 p651
電子メディア戦争 p651
国際通信社へのステップ p651
ミスターテレレート p651
海外支局も戦力強化 p651
情企局もPC通信参入 p651
4. 情報統括部から情報編集本部へ p655
苦難のスタート p655
電子メディア編集の総元締 p655
データベース班設置 p655
5. 赤字との闘い p657
出版局の改革 p657
9年ぶり黒字に p657
企画開発部の新設 p657
フォトサービスが急成長 p657
イベントないと赤字に p657
ピカソ展を中止 p657
共同通信社杯設ける p657
事業局3年連続の黒字 p657
6. 国際金融局から国際金融情報本部へ p660
国金局の誕生 p660
カスタマーサポート p660
顧客との知的ゲーム p660
国金売上100億円突破 p660
12年間の長期契約 p660
コンピューターセンター新設 p660
東京金融市場の拡大 p660
海外でも伸びる p660
国金本部の発足 p660
7. 経営刷新とリストラ p664
バブルの崩壊 p664
不況下の社長交代 p664
企業体質の欠陥露呈 p664
経営刷新委員会を設置 p664
8年ぶりの赤字計上 p664
厳しい報告書 p664
経営刷新実施本部スタート p664
スポーツ事業室 p664
「Jリーグフォト」を設立 p664
出版局踏んばる p664
黒字回復し復配 p664
8. 独自のシステム・フロント p669
もう一つの夢実現 p669
住友生命から打診 p669
編集支援DBを基礎に p669
オール共同のプロジェクト p669
電子メディア第3弾 p669
生き残りかけ奮闘 p669
9. ゼロ成長の中で p671
「氷河期」続く日本経済 p671
営業統括本部を設置 p671
営業基本原則掲げる p671
次世代商品TTRSを販売 p671
実結んだ積極策 p671
インタファクスと独占契約 p671
海外リスク情報 p671
電子情報配信の拡充 p671
電子写真サービス p671
ベストセラー「もの食う人びと」 p671
「BSfan」が上昇 p671
写真集「阪神大震災」 p671
「今は耐える時期」 p671
10. 激化する市場競争 p676
情編本部がニュース強化策 p676
アジア・太平洋重視 p676
システム競争も前面に p676
「S88」を拡張へ p676
戦後50年企画 p676
双子の通信社の関係は不変 p676
第2章 株式会社共同通信会館 p679
第1節 前史にみる社屋の足取り p679
1. 「電通」は転々 p679
土蔵造り社屋でスタート p679
銀座に電通ビル再建 p679
2. 発祥の地、赤坂葵町 p679
「帝通」は衰退 p679
赤坂葵町に「国際」創立 p679
3. 日比谷・市政会館へ p680
「聯合」の社屋 p680
「同盟」銀座から日比谷へ p680
第2節 新社屋建設へ始動 p681
1. 間借り生活 p681
「共同」「時事」が同居 p681
自前の社屋を持とう p681
2. 電電公社跡地を入手 p682
大蔵省と交渉 p682
第3節 (株)共同通信会館の設立 p683
1. 共同と加盟社で資金調達 p683
改装を新築に変更 p683
新会社設立 p683
会館株式の譲渡制限 p683
2. 新社屋の概要 p684
総工費32億円 p684
3. 会館ビル完成 p684
スペース1.8倍に p684
日比谷から赤坂葵町へ p684
4. 1500人参集し落成披露 p685
創立20周年と併せ祝う p685
第4節 創業期から安定期へ p686
1. 不況下での入居交渉 p686
借り手市場で難航 p686
2. 区分所有契約を締結 p686
ジェトロが34%所有 p686
3. 会館、営業を開始 p686
空港公団も入居 p686
最新設備の駐車場 p686
社名ネオン点灯 p686
4. 会長・社長制を実施 p687
共同と一体 p687
5. 累積赤字解消、初配当へ p687
経営が改善 p687
6. 業務範囲を拡大 p688
共同の不動産も扱う p688
進む社宅建設 p688
マンション経営も p688
7. 会館創立20年 p689
満室で経営安定 p689
第5節 スペース問題 p689
1. スペース不足が深刻化 p689
周辺ビルに分散 p689
2. 空港公団が退去 p689
貸室返還を申し入れ p689
共同、2~3階へ展開 p689
第6節 リニューアルに着手 p690
1. 第1次特別営繕計画 p690
進む経年劣化 p690
2. 屋上の鉄塔を撤去 p691
跡に高架水槽設置 p691
3. 第2次特別営繕計画 p691
空調改修、エレベーター更新 p691
4. ビル診断を実施 p692
進む老朽化 p692
5. 受変電設備の更新 p692
15億円の難工事 p692
不測の大事故 p692
スポットネットワーク方式採用 p692
6. 空調設備の全面更新計画 p693
常夏職場に漏水の危険 p693
地域冷暖房システム導入へ p693
97年6月完成へ p693
7. 地震対策 p694
耐震予備調査 p694
耐震・防災対策の推進 p694
駐車場改造計画に影響 p694
第7節 今後の課題 p695
1. ビル機能の近代化、新たな管理技術 p695
インテリジェントビル化への道 p695
環境問題とビル管理 p695
2. どうする次世代新社屋 p695
急がれる具体的取り組み p695
第3章 株式会社共同通信リース p697
第1節 共同通信施設会社 p697
1. 設立―新聞界の機械化に対応 p697
資金繰りに苦しむ p697
独立採算制へ p697
2. 関連メーカーも出資 p698
5社と共同出資 p698
3. 業務開始―受注増える p698
厳しいスタート p698
4. 事務局設置―毎期配当へ p699
事務局を新設 p699
5. 電算化で弾み p699
機器貸与額40億円に p699
テレレート開始 p699
6. 加盟社のシェア減る p700
増えた共同関係 p700
7. 多機能化に対応 p700
テレレート急増 p700
第2節 共同通信リース p701
1. 社名変更、営業、技術本部を新設 p701
現社屋に移転 p701
2. 最高の新規投資額 p701
貸与機器100億円台に p701
3. 業界競争が激化 p702
業務処理をシステム化 p702
4. 営業収入初の30億円台に p703
低金利を固定 p703
5. 新たな飛躍に挑戦 p703
攻めの営業戦略へ p703
第4部 前史 p704
第1章 近代的通信社の始まり p704
第1節 欧州3強 p704
1. 産業革命とともに p704
アバス通信社 p704
ウォルフ通信社 p704
ロイター通信社 p704
2. 地域分割 p705
競争しながら協力 p705
第2節 米国の通信社 p706
1. AP通信社 p706
経費節約で結束 p706
新聞組合主義 p706
2. UP通信社 p707
APの組織に反発 p707
第3節 日本の通信社 p708
1. 新聞通信業の祖 p708
飛脚問屋が通信社 p708
2. 初めに新聞ありき p708
官板バタヒヤ新聞 p708
3. 通信社乱立 p709
多くは泡まつ業者 p709
電通と競った帝通 p709
相場通信 p709
第2章 本格派電通、聯合 p710
第1節 日本電報通信社 p710
1. 臥薪嘗胆 p710
広告会社と併営 p710
奇襲戦法 p710
2. 通信部門を譲渡 p711
国策にのみ込まれる p711
第2節 国際通信社 p712
1. 対外発信目指す p712
排日土地法が契機 p712
国家代表通信社論 p712
2. 推進役に渋沢栄一 p712
三井、三菱を脅す? p712
ロイターの壁 p712
関東大震災で活躍 p712
3. 岩永裕吉の登場 p714
ケネディ引退 p714
ロイターのクレジット削る p714
4. 独占体制にくさび p715
ロスタと直接契約 p715
第3節 日本新聞聯合社 p715
1. 国際・東方が合併 p715
新聞共同機関が誕生 p715
岩永の国際批判 p715
ついに障壁破る p715
2. 内信サービス p717
「玄関種」取材から p717
即位大典で実績 p717
強化された通信網 p717
補助金通信社 p717
《コーヒーブレーク》 NP
「運命のスクープ写真」 p718
第3章 同盟通信社 p719
第1節 聯・電抗争 p719
1. 聯合・AP対電通・UP p719
当初は三つどもえ p719
激しい競争で取材費膨張 p719
第2節 新通信社誕生 p720
1. 通信社統合論高まる p720
満州事変報道が契機に p720
満州国通信社 p720
2. 合併交渉が難航 p721
電通側が抵抗 p721
3. 光永社長の心境変化 p721
地方紙が反対後押し p721
電通を積み残す p721
第3節 ついに同盟誕生 p722
1. 電通ようやく折れる p722
特権付与が決め手に p722
第4節 活動領域が拡大 p722
1. 日中戦争 p722
2.26事件 p722
西安事件 p722
戦時体制へ急傾斜 p722
同盟野戦支局 p722
「同盟ニュース」 p722
官・軍と緊密に協力 p722
2. 太平洋戦争 p724
東南アジア、南太平洋へ p724
南方で自ら新聞発行 p724
戦時報道 p724
3. 社内機構 p725
職員 p725
通信網 p725
対外放送 p725
外国放送の受信 p725
4. 予算 p726
9年間で16倍に膨張 p726
第5節 政府助成金 p727
1. 国策通信社 p727
外務省、陸・海軍が分担 p727
海外通信網拡大 p727
示達書 p727
戦局拡大で膨張 p727
2. 埋没した理念 p728
国策遂行が任務 p728
第6節 2人の同盟指導者 p729
1. 岩永裕吉初代社長 p729
通信社に生涯かける p729
相次ぎ対等協定締結 p729
調停手腕 p729
2. 古野伊之助2代目社長 p730
君はもう給仕ではない p730
通信自主権に執念 p730
先見性と実行力 p730
晴れた戦犯容疑 p730
第4章 通信技術の推移 p731
第1節 通信手段の発達 p731
1. のろし、伝書バト、腕木通信 p731
戦況報告や相場速報に p731
2. 電信、電話の発明 p732
ペリー提督が献上 p732
海底ケーブル p732
ロイター上陸 p732
第2節 無線時代 p733
1. 高過ぎた有線電信料 p733
関東大震災で活躍 p733
2. 国内同報無線網 p733
同盟が大規模活用 p733
3. 船舶放送 p734
モールスからファクスへ p734
第3節 写真電送と模写電送 p734
1. 電通、先見の明 p734
即位大典で活用 p734
2. 無線電送 p735
ベルリン五輪でヒット p735
3. 模写電送 p735
同盟が実用化 p735
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