第一生命保険(相)『第一生命100年の歩み : すべては、お客さまと共に』(2002.04)

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経営;業界 5大生保の一角に [大正4年(1915年)~大正15年(1926年)] 写真、4分5厘の高率配当をうたった募集資料(大正12年)、「我社の貯蓄的生命保険」と題した加入勧奨のはがき(大正15年)、大正14年度の生保各社の業績を比較した資料、矢野[恒太]社長就任直後の朝鮮半島への出張。石坂泰三[取締役]と稲宮又吉[取締役]、『社報』大正8年12月号の記事「一億円には何時なる?」、大正11年ごろの支部長会議、増加するサラリーマンを対象に当初の保険料を安く設定した「出世保険」(大正9年発売)のパンフレット p26
経営 昭和発展期 昭和2~20年(1927~1945) 昭和14年(1939年)1月 昭和14年(1939年)1月に第一生命館で行われた「新館落成記念募集有績者招待会」であいさつする矢野[恒太]会長、石坂[泰三]社長(6階の集会室にて) p33
事業所;設備 第一生命館の完成 [昭和10年(1935年)~昭和14年(1939年)] 写真、潜函工事に入る前の実験堀りと思われる建設現場(昭和10年1月)、「日本一長いのは東京駅、高いのは国会議事堂、深いのは第一生命館」という矢野[恒太]の言葉を図示した落成記念のパンフレット、落成を記念して開かれた営業職員招待会(昭和14年1月、東京会館)、来館した高松宮殿下にIBM統計機の説明をする石坂[泰三]社長(昭和14年4月)、[皇居お堀端に]完成した第一生命館[(昭和13年10月完成)]、中央監視盤、大金庫、地下4階にあったカード類の保管庫、新築披露時の1階営業室、新築披露時の中庭を望むベランダ、トイレ p38
世相;役員 戦争と統制の時代 [昭和12年(1937年)~昭和20年(1945年)] 写真、石坂[泰三]社長と矢野[恒太]会長の就任披露会(昭和13年)、日本経済連盟の「遣欧米経済使節団」に参加した石坂[泰三社長]の帰国を東京駅に迎える矢野[恒太会長](昭和12年)、政府が主導した国民貯蓄奨励運動の一環として作成された保険募集パンフレット、契約者配当率の引き下げを知らせる新聞記事(『東京朝日新聞』昭和12年10月7日付)、戦時下の当社のポスター、昭和20年の支部長会議で演説する国民服姿の矢野[恒太]会長 p40
提携合併 昭和生命の包括移転 [昭和8年(1933年)7月~昭和16年(1941年)12月] 写真、日本医師共済生命が昭和生命と改称し、5相互会社が大合同の合意に至ったことを伝える新聞広告(『東京朝日新聞』昭和8年7月2日付)、石坂[泰三]社長は元昭和生命職員へ「家族として迎える」とあいさつした(昭和16年12月)、元昭和生命職員に辞令を交付する稲宮[又吉]取締役(昭和16年12月)、元昭和生命社員と当社職員の懇親会(昭和16年12月、稲宮[又吉]取締役、戦後社長となる矢野一郎取締役)、昭和生命の商品パンフレットと包括移転許可証 p42
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