日本精工(株)『日本精工五十年史 : ベアリング その発達と技術』(1967.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
- SKFパルムグレン氏の名著「Ball and Roller Bearing Engineering」出版さる 内外業界
- 近衛内閣総辞職 政治・経済・社会
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
2月 シンガポール占領 政治・経済・社会
3月16日 鋼球生産力拡充計画について陸海商企画院各関係官庁の第2回打合せ会議開催 内外業界
3月 日本軸受製造工業組合は精密機械統制会に合体のため解散 内外業界
4月1日 精密機械統制会設立 内外業界
4月9日 資本金を4,000万円に増額 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
5月 玉川鉄工所を買収し、当社桜町工場とし、工作機械の修理を開始 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
6月 ミッドウェイ海戦 政治・経済・社会
9月 西林工作機械ベアリング製作所、株式会社に改組、西林精工株式会社設立 内外業界
12月18日 本社を芝区田町4丁目1番地に移転 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 生産設備の大幅な拡張を決定(秋) 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 藤沢工場内にプロペラ軸受工場2棟、鯛球工場4棟、・転子工場2棟完成(秋) 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 株式会社長嶋製作所(20年空襲焼失解体)は日本精工の協力工場となる 内外業界
- 清水保之氏、京利金属工業所(個人経営、のちの京利工業株式会社)を設立、一般産業機械・プレス製品製造 内外業界
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
4月28日 昭和19、20両年度軸受生産目標ならびに利用比率協定に関する陸海商企画院の各関係官庁連絡会議開催 内外業界
6月 東洋ベアリング製造株式会社桑名工場において、鋼球の自給体制を確立 内外業界
8月 札幌出張所廃止(大辰商会に販売を委任) 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
8月 旭精工株式会社は大阪精密工業所を吸収合併 内外業界
10月14日 昭和19、20両年度鋼球ならびに保持器生産目標に関する陸海商および企画院の連絡会議開催 内外業界
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