三井海上火災保険(株)『朱竜・三井海上ものがたり : 75年小史』(1994.03)

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目次項目 ページ
口絵 巻頭
刊行にあたって 取締役社長 松方康 NP
プロローグ p11
第1章 揺藍/大正5~15年 p11
小田柿捨次郎の発想 p11
平生釟三郎を招致 p14
社名を三井としない理由 p19
貿易の中心地は神戸 p24
震災で変わった業界地図 p28
南条―飯沼コンビが誕生 p33
佐久間信義のロンドン行き p35
自立の体制できあがる p40
第2章 自立/昭和元~11年 p43
昭和恐慌起こる p43
追随を許さぬ好業績 p46
火災保険の奮闘努力 p51
自転車でネットワークづくり p54
初めての新種保険 p59
火と水と風の災害相次ぐ p62
昭和恐慌の後に来たもの p67
飯沼、会長と専務を兼任 p71
第3章 狂躁/昭和12~20年 p75
躍進する海上保険 p75
海外支店の開設 p78
第二次大戦と再保険 p84
損保の合併相次ぐ p88
三井の準直系会社に p92
空襲下の保険金支払い p96
地方営業網を拡大 p101
第4章 復興/昭和20~29年 p107
三井財閥と物産の解体 p107
役員全員が公職追放 p110
初の生え抜き社長 p114
公団貿易下の海上保険 p118
大火多発で業界の危機 p122
海外再保を復活 p126
海外元受を再開 p131
京橋に新本社ビル p134
太陽火災の援助 p139
第5章 変化/昭和30~39年 p143
空前の高度成長 p143
三井グループの構造的弱さ p147
第一次新種保険ブーム p150
日本の原発に日本の保険 p154
新種保険アラカルト p159
新潟地震がきっかけ p162
テーブル・ファイヤー事件 p167
精強なプロ代理店づくり p171
わが国初のLDR発行 p176
第6章 禍福/昭和40~49年 p181
モータリゼーションの入口で p181
損害率の高さに尻込み p185
N(南部)事件で社長交代 p188
自動車保険販売促進 p192
示談代行サービス開始 p197
取って一〇年、取られて一〇年 p200
「新種の大正」 p204
平田新社長のあいさつ p210
初の長期経営計画 p213
第7章 朱竜/昭和50~59年 p217
戦後最大の不況で幕開け p217
新学卒研修生制度 p220
代理店の大量新設・大量育成 p223
大型商品「積ファ」を発売 p227
グリーンセミナー(GS)―整備工場組織― p230
トータルトヨタ(TT)に全力 p234
駿河台の中央大学跡地 p238
コンセプトは「風格とうるおい」 p241
新本社ビル完成 p245
EDR発行とV5作戦 p250
石川新社長の就任あいさつ p254
第8章 創成/昭和60~平成5年 p259
円高時代のバブル景気 p259
「ダッシュ70」の目標 p262
高まる資産運用の役割 p266
全国オンライン網を完成 p271
伝統を誇る海外営業 p275
「アクセス21」が目指すもの p281
ついに「三井海上」創成 p285
新社長は「腕白集団」を提唱 p289
三井海上は心と心を結びます p292
「一兆円実力企業」の意味 p295
エピローグ p295
資料 p308
資本金の推移 p308
総資産の推移 p308
役員・従業員の推移 p309
元受保険料の推移/種目別構成比の推移 p310
正味保険料の推移/種目別構成比の推移 p311
国内ネットワークと主要ビル p312
海外ネットワーク p314
子会社(国内) p316
子会社(海外) p317
代理店の推移 p318
年表 p318
主要参考文献 p350
写真提供・協力(社外) p350
あとがき 巻末
索引リスト
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