ユニチカ(株)『ユニチカ百年史. 下』(1991.06)

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目次項目 ページ
口絵 巻頭
ユニチカ編・通史編 p1
序章 合併前夜(~昭和四十四年) p1
一 ある冬の日曜日 p2
二 原社長の危機意識 p3
三 「熟慮断行」 p5
第一章 ニチボー・日本レイヨンの合併(昭和四十四年) p9
一 合併の発表 p10
二 合併覚書および合併契約書 p12
三 社名の決定 p13
四 社長メッセージ p14
第二章 ユニチカの発進―坂口社長就任(昭和四十四年~四十五年) p21
一 ユニチカ誕生 p22
二 新会社の概要と構想 p24
三 ユニチカ発進す p28
四 新しい年―日本万国博など p30
五 ポリエステル特許訴訟和解 p36
六 機構改革と人事異動の発表 p38
第三章 基本路線の実現へ―富井社長就任(昭和四十五年~四十七年) p41
一 社長交代 p42
二 機構改革の実施 p44
三 ユニチカ最初の決算 p50
四 エンジニアリング事業に着手―公害防止関連へ p51
五 中期計画―新生ユニチカの基礎固め p53
六 UMM社との提携―ガラス繊維事業へ本格進出 p54
七 アクリル繊維について―事業化計画の結論 p56
八 ユニチカ初の技術輸出―インド向けタイヤコードプラント p58
九 相次ぐ新会社・新事業 p59
一〇 「全従業員に告ぐ」―ニューユニチカ運動の展開 p62
一一 塩塚会長の退任と回顧 p66
一二 中国向けプラント商談―古い友人ユニチカ p68
一三 経営陣の一新 p71
第四章 人心の一新と人材の活用―小幡社長就任(昭和四十七年~四十九年) p73
一 新しい経営陣 p74
二 「小幡語録」に見る経営観 p75
三 労働協約の統一とEDPシステムの統一 p77
四 再建の方針と計画 p80
(一)意思決定に関する制度の改定 p80
(二)中期計画(再建の方針と計画) p80
(三)中期計画の運営について p81
五 各社との協力体制進む p83
(一)日本エステルの運営改善 p83
(二)積水グループ、伊藤忠等との提携強化 p84
六 拡大するニット化の波 p86
七 カリフォルニア綿の長期契約締結―綿花の人 p89
八 蚕糸部門、絹糸部門の分離とその後 p94
(一)蚕糸部門 p95
(二)絹糸部門 p97
九 大阪国際ビルオープン p99
一〇 労働組合の統合 p102
一一 製品三社と川下作戦―サザン青山、ユニメイト、トータリア p103
一二 国際化への取り組み p106
(一)組織・制度 p107
(二)インドネシアの合弁会社「ユニテックス」 p107
(三)コートジボアールの合弁会社「ユテキシー」 p109
(四)ナイジェリアの合弁会社「ザリア」 p111
一三 石油危機に対処―省エネルギー対策委員会発足 p113
一四 マトリックス型オーガニゼーション―商品別プロジェクトの発足 p115
一五 ユニチカマスコットガールの登場 p119
一六 復配―ユニチカ再建に二つの賞 p124
第五章 オイルショック下“嵐の船出”―小寺社長就任(昭和四十九年~五十七年) p127
一 「誠実こそが信条」 p128
二 関連事業本部の新発足―関連八三社の再検討 p129
三 連続自動紡績システムUKSSの完成 p131
四 エステルタイヤコードの企業化―アライド社より技術導入 p134
五 エイテル事業の撤収 p136
六 開発本部の動き―食、住への本格進出ほか p139
(一)食品事業とユニチカ三幸 p140
(二)都市開発事業と大蔵屋 p144
(三)その他 p148
七 第一次オイルショックの波と不況対策 p150
八 海外新規事業の凍結 p158
九 ファウンデーション事業への進出―「フォームフィットジャパン」の設立 p162
一〇 非繊維事業の進展 p164
(一)スパンボンド開発部の発足 p164
(二)Uポリマー開発部の発足 p166
(三)キレート樹脂開発部の発足 p169
一一 哀悼―坂口二郎(元会長)の逝去と社葬 p172
一二 同和問題との取り組み p173
一三 京都工場移設と宇治プラスティック工場の発足 p173
一四 ニューコミュニティづくり―高田、京都二工場跡地利用 p176
一五 東洋紡、鐘紡、ユニチカ三社の提携 p181
一六 ユニチカテキスタイル社の発足 p183
一七 シルキー合繊「シルミー5」の登場とその歴史 p186
一八 体質改善計画―減量経営の徹底、五部門の分離独立 p190
一九 経営陣の異動と体制の強化 p196
二〇 帝人との提携案 p198
二一 三カ年計画―選択的拡大など四つの基本方針 p200
二二 各工場興産会社の設立 p202
二三 ユニチカ発足一〇年を迎えて p204
二四 レベルアップ運動の展開 p207
二五 技術開発本部の設置 p209
二六 ユニチカグループの結束強化―関連会社社長会開催 p211
二七 第二次オイルショックの波 p212
二八 バイオメディカル分野への進出(I) p215
(一)バイオ研究の始まり p216
(二)抗血栓性カテーテル p216
(三)酵素の企業化 p218
二九 「オーツタイヤ」の経営権を譲渡 p219
三〇 中長期ビジョン―テキスタイル事業の強化 p222
三一 ポリエステルフィルムに本格進出 p225
第六章 再構築から攻めの経営へ―平田社長就任(昭和五十七年~平成元年) p229
一 新経営陣と中長期ビジョンのスタート p230
二 ユニチカテキスタイル社を吸収合併 p231
三 クラレとの業務提携―ビニロン事業の路線転換 p233
四 「体制刷新の年」―構造改善対策の実施 p236
五 プリント配線板事業へ進出―「ユーアイ電子」を設立 p240
六 羊毛事業部門の分離 p245
七 情報事件訴訟判決 p246
八 新中期三カ年計画と「チャレンジ一〇一」 p247
九 「ユニチカ・ストッフ」(総合素材展)の挑戦 p251
一〇 差別化原綿拡充の波―「トルファン」の登場 p253
一一 哀悼 p256
(一)小寺新六郎(元社長)の逝去と社葬 p256
(二)原吉平(元社長・元会長)の逝去と葬儀・偲ぶ会 p257
(三)高松宮殿下とユニチカ p259
一二 急激な円高の影響と対策 p260
一三 中央研究所新館完成―非繊維拡充へ加速 p264
一四 研究の花開くハイテク商品 p266
(一)液晶ポリエステル樹脂「ロッドラン」の開発 p266
(二)熱硬化性フェノール系樹脂「ユニベックス」の開発 p267
(三)アモルファス金属繊維の開発 p269
(四)メタ系アラミド繊維「アピエール」の開発 p271
(五)活性炭繊維の開発 p272
(六)オレフィン系不織布「エルベス」の開発 p274
(七)新世代シルキー合繊「ミキシィ」の開発 p276
(八)超透湿性防水素材「ディンカム」の開発 p277
(九)蓄熱保温素材「ソーラーα」の開発 p279
一五 経営強化特別対策「R一〇〇対策」の実施 p282
一六 総合管理システム「UPS」構築へ p284
一七 ナイロンフィルム製造技術海を渡る p286
(一)米国アライド社へのライセンス供与 p286
(二)合弁会社エンブレム・ヨーロッパ(イタリア)の設立 p288
一八 「海外紡」の終焉 p289
一九 超高速合繊紡糸技術の確立 p292
二〇 バイオメディカル分野への進出(II) p294
(一)バイオメディカル研究から実り出始める p294
(二)「ベスチキンW」と「ブラドマン」 p296
(三)医用材料工場の新設 p298
二一 哀悼―昭和天皇とユニチカ p300
二二 復配の発表と社長交代 p302
二三 創立一〇〇周年―新しい出発 p306
口絵 p317
ユニチカ編・部門史編 p319
第一章 天然繊維事業部門 p319
一 綿(綿合繊)糸布部門の概況 p320
(一)原綿事情 p320
(二)綿糸と合繊紡績糸 p323
(三)テキスタイルの展開 p329
(四)紡織生産の歩み p344
二 羊毛部門の変遷 p352
(一)工場編成と組織体制 p352
(二)羊毛事業の関連会社 p353
(三)ニクソンショックからオイルショックへ p354
(四)「ユニチカウール」と差別化路線の推進 p359
三 製品部門と官需部門 p361
(一)製品部門 p361
(二)官需部門 p364
第二章 合化繊事業部門 p367
一 ナイロン事業の概況 p368
(一)ナイロン綿の展開 p368
(二)ナイロン糸のテキスタイル展開 p370
(三)ナイロンタイヤコード糸 p373
二 ポリエステル事業の概況 p380
(一)道をきりひらく「エステル短繊維」 p381
(二)エステル長繊維(衣料用)―ユニチカとともに二〇年 p384
(三)エステルタイヤ糸(ETY)の開発 p390
三 生産活動 p391
(一)宇治工場の歩み p391
(二)岡崎工場・日本エステル p398
四 レーヨン部門の変遷 p406
(一)レーヨン事業の退潮 p406
(二)ユニチカレーヨン株式会社 p408
五 ビニロン・化成品事業の変遷 p411
(一)初期の頃 p411
(二)組織の変遷 p412
(三)二度にわたる水禍 p412
(四)北朝鮮向けプラント輸出 p415
(五)ビニロン営業の歩み―産業資材用途へ p416
(六)堺二社と酢ビ・ポバール p420
第三章 ガラス繊維事業部門 p425
一 創業のころ p426
二 拡大期へ向かう p427
三 新しい体制の展開―UUGと垂井工場のスタート p428
(一)UUG p429
(二)垂井工場 p430
四 構造改善期―UUGの工場移転とICクロスの生産開始 p432
五 新しい発展の路線 p434
第四章 プラスチック事業部門 p439
一 樹脂事業の歩み p440
(一)創業期 p440
(二)拡大成長期 p442
(三)総合エンプラメーカーを目指して p443
二 フィルム事業の歩み p447
(一)ナイロンフィルム初期の頃 p447
(二)高付加価値商品「エンブレムDC」 p449
(三)ビニロンフィルム戦列に加わる p450
(四)オイルショック以後 p453
(五)フィルム事業の急発展 p454
第五章 スパンボンド事業部門 p457
一 スパンボンドの始まり p458
二 BSM開発室の活動と企業化決定 p459
三 増設の足跡 p461
四 スパンボンドの用途別発展 p462
第六章 エンジニアリング事業部門 p469
一 創業から拡大へ p470
(一)事業部誕生 p470
(二)最初の事業 p470
(三)排水処理装置の開発と伸展 p471
(四)周辺関連会社の設立 p473
(五)組織の整備 p474
(六)商品の多様化と開発活動 p476
二 苦難の時期 p477
(一)公害防止産業の減退 p478
(二)大幅な赤字の継続 p479
(三)事業経営の減量化 p480
(四)事業内容の変化と商品の高度化 p481
三 着実な上昇 p482
(一)業績の回復 p482
(二)関連会社の事業終結 p483
(三)事業分野の足どり p484
第七章 建設・不動産事業部門 p487
一 初期の頃 p489
(一)住宅産業部の創設 p489
(二)新建材の開発 p489
(三)まず内装工事業 p490
(四)建設請負業の端緒 p491
二 面開発プロジェクトと開発本部の時代 p492
三 建設、不動産機能の合体 p494
(一)建設事業部の立ち上がり p494
(二)建設・不動産事業本部の発足 p494
(三)マンション事業「ユニライフ」シリーズ p495
(四)業容の拡大 p496
四 苦闘の時期 p497
(一)住宅不況来たる p497
(二)新規事業の模索 p498
(三)苦闘の時期 p499
(四)構造改善対策 p500
五 景気回復と事業の活況 p501
(一)主要プロジェクト「山崎」ほか p501
(二)大型事業「ユニライフ北大阪」 p502
(三)不動産ブームと事業の活況 p503
第八章 国際事業部門 p505
一 旧両社の流れ p506
(一)ニチボーの国際活動 p506
(二)日本レイヨンの国際活動 p507
二 ユニチカの国際事業運営 p508
(一)組織 p508
(二)出張所・駐在員事務所の整理・統合 p510
(三)海外合弁会社の動向 p510
(1) 新設 p511
(2) 撤退・整理 p514
(3) 現存合弁会社 p516
(四)技術・プラント輸出 p519
体育・文化活動 p527
ニチボー p528
[体育連盟の復活] p528
[バレーボール] p530
[バスケットボール] p532
[ソフトボール・軟式庭球] p533
[文化活動と職場皆唱] p534
日本レイヨン p536
[体育・文化活動の再開と活性化] p536
[開花期へ] p538
[全盛期へ] p540
ユニチカ p542
[ユニチカ発足から] p542
[バレーボール] p543
[バスケットボール] p544
[ソフトボール] p545
[陸上競技] p546
[ラグビーフットボール] p547
[文化活動について] p548
資料編 p549
ユニチカ株式会社定款 p549
役員任期一覧表 p552
会社の系譜 p564
組織図 p568
資本金および業績の推移 p570
部門別売上構成の推移 p579
事業所一覧 p580
廃止工場一覧 p586
関連会社一覧 p590
ユニチカ社歌 p605
年表 p607
参考文献 p677
あとがき p681
索引リスト
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