"汪兆銘"が書かれている年表項目はハイライトされています。
- 1
表示切替
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和6年(1931) | 5月28日 | 汪兆銘ら反蒋派が広東に国民政府を樹立 | 内外の出来事 |
昭和7年(1932) | 6月 | 蒋介石が汪兆銘・張学良と提携、再び南京国民政府の実権掌握、遡江して漢口に駐留、共産軍征討を督戦 | 内外の出来事 |
8月 | 蒋主席が汪兆銘と張学良の不仲に和解を勧める一方、反共産・抗日で人心収攬を図る | 内外の出来事 | |
昭和8年(1933) | 3月 | 汪兆銘が外遊から帰り、南京政府の行政院長に就任 | 内外の出来事 |
昭和9年(1934) | 1月 | 蒋介石と汪兆銘の提携成る(下旬) | 内外の出来事 |
昭和10年(1935) | 11月 | 南京国民政府行政院長汪兆銘が兇弾に傷つき、蒋介石がみずからこれに代わる | 内外の出来事 |
昭和13年(1938) | 11月20日 | 日本と汪兆銘との和平交渉まとまる | 内外の出来事 |
12月20日 | 汪兆銘が重慶を脱出して仏印ハノイ着 | 内外の出来事 | |
12月28日 | 汪兆銘が声明、「満州国の承認、日中防共協定の締結、中国内地における居住・営業の自由の3大項目を約し、領土を求めず、戦費賠償を求めず、ただ治外法権・租界返還を求める」 | 内外の出来事 | |
昭和15年(1940) | 3月12日 | 汪兆銘が日中和平救国宣言 | 内外の出来事 |
3月30日 | 汪兆銘が新たに南京国民政府を組織して中華民国維新政府を吸収、北京臨時政府を華北政務委員会に改組、蒙古連盟自治政府の育成を約す | 内外の出来事 | |
11月29日 | 汪兆銘が南京国民政府首席に就任、日華基本条約および付属議定書に調印、同時に、善隣友好・共同防共・経済提携に関する日満華共同宣言を発表、併せて東亜新秩序の建設と共栄圏の確立に邁進を声明 | 内外の出来事 | |
昭和16年(1941) | 6月 | 汪兆銘首席訪日を機とし日華共同宣言発表、日本が国民政府に3億円借款供与を約す | 内外の出来事 |
昭和17年(1942) | 6月10日 | 南京政府首席汪兆銘の来日に際し、政府が3億円の借款を供与、その一部3,500万円限度兵器借款契約を正金・中儲銀閣調印 | 正金の歩み |
昭和19年(1944) | 11月13日 | 汪兆銘、名古屋で客死 | 内外の出来事 |
- 1