"矢野恒太"が書かれている年表項目はハイライトされています。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | 12月29日 | 矢野恒太、「保険相互会社首唱之辞」を『中外商業新報』に発表、相互組織による生命保険会社ならびに火災保険会社の設立計画を公にす | 前史(明治元年~明治三十五年九月)・わが社 |
明治35年(1902) | 9月15日 | 創立総会を東京市日本橋区坂本町東京銀行集会所に開き、定款および約款を決議し社員総代および役員を選出。初代社長に柳沢保恵、専務取締役に矢野恒太がそれぞれ就任 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
- | (この年)矢野恒太、生命表(矢野氏第二表)を作成 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 | |
- | (この年)内閣統計局第一回生命表完成(矢野恒太、統計局の委嘱により作成) | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・業界・一般参考事項 | |
明治44年(1911) | - | (この年)内閣統計局第二回生命表完成(矢野恒太、統計局の委嘱により作成) | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・業界・一般参考事項 |
明治45年(1912) | 3月20日 | 内閣統計局、『日本人の生命に関する研究』(局第二表、矢野恒太作成)を刊行 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・業界・一般参考事項 |
大正4年(1915) | 4月18日 | 「矢野恒太保険関係二十五年記念祝賀会」が生命保険会社協会講堂にて催さる | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
9月1日 | 専務取締役矢野恒太、第二代社長に就任。前社長柳沢保恵に顧問を委嘱 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 | |
大正11年(1922) | 3月1日 | 第一相互貯蓄銀行開業。矢野恒太、頭取に就任(昭和二十年五月貯蓄銀行九行合同合併により株式会社日本貯蓄銀行〈現協和銀行〉となる) | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
昭和13年(1938) | 11月15日 | 第三十七回定時社員総代会を第一生命館に開催//社長矢野恒太、初代会長に、専務取締役石坂泰三、第三代社長にそれぞれ就任 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
昭和14年(1939) | 12月16日 | 「蒼梧矢野恒太保険関係五十周年記念祝賀会」が東京会館にて催さる | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
昭和21年(1946) | 12月31日 | 会長矢野恒太、社長石坂泰三ほか辞任 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
昭和26年(1951) | 9月1日 | 矢野恒太寄贈の満期保険金(保険証券第一号)を基金に蒼梧育英資金制度を創設 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
9月23日 | 矢野恒太逝去 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 | |
9月28日 | 矢野恒太の葬儀を社葬によりとり行う | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 | |
昭和28年(1953) | 3月17日 | 「財団法人矢野恒太記念会」を設立 | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |
昭和45年(1970) | 7月27日 | 矢野恒太、保険名誉賞を受賞、保険殿堂入り | 本史(明治三十五年九月~昭和六十二年)・わが社 |