第一生命保険(相)『第一生命八十五年史』(1987.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 山本覚馬、『管見』を著わし、死亡請負(生命保険)の必要性を説く 近代的生命保険事業前史
1868年 - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 江戸末期、東西両本願寺において、生命保険の先駆形態の一つと見られる事前拠出制に基づく相互共済制度が生まれる 近代的生命保険事業前史
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
2月 『蚕種商法』(吉田屋表二郎著)が刊行され、保険料を「分合」と紹介 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
2月 『新塾月誌』(第二号)中、インシュアランスが初めて「保険」と訳出される 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- (この年)『西洋聞見録・後編』(村田文夫著)が刊行され、保険会社を「保認会社(ウケアヒナカマ)」と紹介 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
12月 若山儀一、政府紙幣・国債証書の印刷事務監督官として渡米、生命保険制度について見聞を広める 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月 『合衆国政治小学』(瓜生三寅訳)が刊行され、保険会社を「受負会社」、生命保険を「人命受負」と紹介 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 保任社設立、海上保険を開始 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月 文部省百科全書『経済論』(堀越愛国訳)が刊行され、同書中「保険」の訳語あり 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
5月 丸屋商社(現丸善株式会社)、社員のための死亡請合規則を設ける 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
- (この頃)ニュー・イングランド・ミューチュアル社(アメリカ)等、日本で営業活動を開始 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
12月5日 外国保険会社の邦人に対する生命保険契約開始の新聞広告初出(『読売新聞』) 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
- (この年)『百工倹約訓』(高橋達郎訳)が刊行され、同書中「保命会社」の説明あり 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西南戦争勃発 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
5月21日 プロビデント・クラークス・ミューチュアル・ライフ・インシュアランス会社、横浜に代理店を開業、日本人に対する生命請負契約の取扱開始 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
6月 第一国立銀行、海上危険受合業を開始 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
12月 文部省百科全書『人口救窮及保険』(永田建介訳)が刊行され、持主局(株式会社)・協同局(相互会社)・混合会社等会社組織形態に触れ、保険を総合的に紹介 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三菱商業学校設立(十七年五月閉鎖)、保険法の講義を開始 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
2月27日 縦積社創立、類似保険の先駆となる 前史(明治元年~明治三十五年九月)・業界・一般参考事項
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