保険銀行時報社『本邦生命保険業史』(1933.09)

"曄道文芸"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 7月10日 高砂生命臨時総会京都帝大教授曄道文芸博士取締役補欠当選 生命保険関係年表
大正13年(1924) 7月26日 愛国生命臨時総会、全重役辞任、高砂生命の原邦造(社長)曄道文芸(専務)新任 生命保険関係年表
大正15年(1926) 11月5日 曄道文芸高砂生命譲渡の経緯を保険関係新聞雑誌社へ発表○保険銀行時報第廿二回統計号刊行 生命保険関係年表
昭和6年(1931) 12月5日 愛国生命の手に帰せる東華生命臨時総会、重役改選、取締役社長曄道文芸、取締役布田典雅、豊田末吉、監査役森岡忠尚、矢内栄次、決算期三月末日を十二月末日に変更決定、包括移転の準備成る 生命保険関係年表
昭和7年(1932) 11月10日 原邦造主務省訪問国光生命挽回の衝に当ることに決定、会長原邦造、専務曄道文芸 生命保険関係年表
昭和8年(1933) 6月30日 昭和生命相互保険会社を形成すべき、日本医師共済、東海、蓬莱、中央、国光の五相互は午前十時より各社毎に合同の対案を協議し国光の如きは夜半に至り意見漸く纏る難問題であったが協調の結果、新会社の社長に日医の八木逸郎、取締役に同北島多一、国光の曄道文芸、蓬莱の武末祐三郎、東海の仲宗根玄愷、監査役に日医の林曄、同中山義彦、東海の前田青莎選任、新会社の契約高約二億三千万円、資産が六千二百万円と伝ふ○日銀利下説伝はる各種利率二厘方引下七月三日より実施、商業手形割引日歩一銭となる筈 生命保険関係年表
PAGE TOP