保険銀行時報社『本邦生命保険業史』(1933.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
崇神天皇27年(B.C.3) - 【屯倉】秋八月初めて屯倉を来目邑に興つ。官設穀倉にして賑恤救済を目的とするものであるが、後の貸稲、貸税、借貸、出挙、義倉、常平倉、不動倉、社倉等々と共に農業保険其他の原始的一形態と見るべきものか。但し貸稲以下はまた信用組合或は共済組合の原始的一形態でもあらう。//参考 西洋紀元前四千年の昔バビロニアに於て早くも陸上の運輸交通に対し冒険貸借の行はれ、また西紀前千六百年フェニシアに海上冒険貸借行はれたのを始めとし、ローデス及びギリシヤは各西紀前千年、サイプラスは前九百年、カルテージは前八百五十年、ローマは前七百年、各々海上冒険貸借の記録を有つてをり、更に印度においては西紀前六百年マヌの法典に海陸両交通に冒険貸借に関する記録を示してゐる。なほローマでは西紀前二百十五年、スペイン、リヴィにおける軍隊に衣糧、給料等を輸送する商人に対し、危険の補償を約束した。 生命保険関係年表
天武天皇3年(375) - 【貸税】詔して、諸国の貸税(イラシノオホチカラ)は自今富貧を知つて之等に簡定して中戸より以下に与へ貸すことに定まる。されば貸税はそれ以前既に存したことが想察されるわけである。 生命保険関係年表
大化2年(646) - 【貸稲】三月屯田其の他処々の貸稲(イラシノイネ)を罷めらるゝこと書記に見ゆ。されば貸稲はそれ以前早くからあつたことが想察されよう。 生命保険関係年表
白雉3年(652) - 【五保】四月戸籍を造り、五家を以て相保ち長一人を置く、これを五保の制といふ。友愛組合(フレンドリー・ソサエテイ)の原始形態であると同時に自治制の原始形態とも見られる。//参考 支那では上古早くも五保の制を見た。周礼に見えるのがそれで、西紀前千五六百年前のことだ。我が五保の制は支那からの移植である。 生命保険関係年表
大宝元年(701) - 【義倉】所謂大実令として伝へらるゝものゝうち賦役令に義倉の制見ゆ。翌二年二月諸国の大租、駅起稲及び義倉並に兵器の数の文を、始めて弁官に送るの記事国史に見ゆるを以て、義倉創設の年となすものあれど、大宝令は天智天皇の元年(日一三二八、西六六八)にできた所謂近江朝廷令を典拠とするものであり、屯倉は既に大化二年廃せられたから、恐らくそれに代つて義倉は大宝令以前から存したであらうと察せられる。【出挙法】の定めも史上此の年より見ゆ。//参考 義倉は支那の隋(西紀五八一年開皇)にはじまり、唐(西紀六一八年より)に引継がれ、唐から日本に移植を見たものであるが、唐の義倉も、その源をたづねると遠く周代に発してゐる。即ち周官に所謂「委積法」なるものが母胎だ。 生命保険関係年表
和銅元年(708) - 【不動倉】太政官符し、大税は自今以後別に不動の倉を定め国貯の物と為すといふ。またこれより不動穀の名出づ。 生命保険関係年表
天平宝字3年(759) - 【常平倉】国の大小に隨ひ、公廨を割出して常平倉を設く。また常平倉を利用して穀価を調節するために、京都に左右の平準署を設け、安きに買ひ、高きに売ることをした。また諸国より来る租税運搬夫の飢苦を救済した。 生命保険関係年表
弘仁13年(822) - 【穀倉院】三月太政官符し穀倉を設く。公卿諸人に給ひ神寺用に充て、また貧民に売与して飢乏を賑救。 生命保険関係年表
文治3年(1187) - 【恩給・恩顧】吾妻鏡に此語初見。王朝時代乃至武家時代の恩給は現代と意味内容を異にすれば、また年金、疾病保険等の一類似型態か。 生命保険関係年表
貞応2年(1223) - 【廻船式目】三月十六日右少弁藤原の名において我邦最初の海法編制。之を海外のそれに比するにオレロン海法におくるゝ七十年前後、アマルフイ海法と同時代、コンソラート・デル・マールの約半世紀前にあたる。 生命保険関係年表
建治元年(1275) - 【憑支】此年「たのもし」言葉高野山文書に初見、後に頼母子、また無尽となるもの是れである。 生命保険関係年表
天文5年(1536) - 【庄屋五人組】旧代の五人組の変化せるもの、由良家伝記の百姓御仕置御法度中に此語初見。 生命保険関係年表
天文22年(1553) - 【伊勢講】此年の山埼宗鑑の著犬筑波集に初めて此語見ゆ(或は二十年前の説もあり)伊勢の太々講ともいひ参宮資金の講をさす。資金保険或は信用組合類似型態の初見か。 生命保険関係年表
慶長2年(1597) - [原資料 慶長2年 1596年]【十人組】三月七日の豊太閤御掟なるものゝ中に「侍は五人組、下人は十人組」なる語見ゆ。 生命保険関係年表
元和3年(1617) - 【投銀】御朱印船に対する冒険貸借で、長崎地方に行はれたるもの、現在まで発見の同貸借古証文中最古のものは此年二月十四日附。 生命保険関係年表
明暦元年(1655) - 【社倉】山崎闇斉の提唱する社倉、会津藩に創設、これ農業保険乃至社会保険の一類似型態でもあり、また信用組合の一類似型態である。 生命保険関係年表
元禄元年(1688) - 【海上請負】此年の前後より海上請合積立荷物の法行はれ、そのため海上請負手形発行。英国のロイヅ組合の起源はこの前後。 生命保険関係年表
正徳4年(1714) - 【無情講】是年の刊本乙州の「それぞれ草」に無情講の説明あり、されば実際は是年以前相当古くから行はれしものならん。一種の葬儀組合なればまたこれを本邦生命保険最初の類似型態と見るべきか。また同一講中に木魚講などいふのがある。英国最初の生命保険アミカプル・ソサイテイは一七〇六年の創立。但し近代的組織の生保会社イクイタブルは一七六二年の創立。 生命保険関係年表
延享3年(1746) - 【荷物受合】是年飛脚問屋島尾佐右衛門、奥州京都間の荷物運送に受合料をとりて受合す。 生命保険関係年表
宝暦2年(1752) - 【念仏講】是年刊行の武玉川四篇に念仏講をよめる句見ゆ。前出無情講の類である。 生命保険関係年表
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