保険銀行時報社『本邦生命保険業史』(1933.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
宝暦12年(1762) - 【英国生命保険会社の元祖】イクヰタプル生命保険会社創立。 生命保険関係年表
寛政8年(1796) - 【ハルマ辞書翻訳】蘭和字典初めて成り“Verzekering”に『請合ヒ』の訳語見ゆ。(但し其後のハルマ和訳字書には「物を運送する時世話料を取りて海上の難を受合ふ」と見ゆ) 生命保険関係年表
文政2年(1819) - 【仏国生命保険会社の元祖】ジエネラル生命保険会社創立。 生命保険関係年表
文政10年(1827) - 【独国生命保険会社の元祖】ゴータ生命保険(相互)会社創立。 生命保険関係年表
文政11年(1828) - 【和蘭生命保険会社の元祖】アムステルダム生命保険会社創立。 生命保険関係年表
天保元年(1830) - 【米国生命保険会社の元祖】ニューヨーク生命保険信託株式会社創立。 生命保険関係年表
弘化4年(1847) - 【渋沢栄一】従兄尾高惇忠から漢籍を学ぶ。〔7歳〕 渋沢関係略年譜
- 【墨氏の英支辞典刊行】Assuranceに保領なる訳語見ゆ。 生命保険関係年表
嘉永5年(1852) - 【海国図志刊行】支那刊行の同書に西洋諸国に「担保会」なるものあり、またその一種として「命担保」なるものあることを伝ふ。 生命保険関係年表
万延元年(1860) - 【華英通語翻刻】同書のInsurance Company担保会にウケアヒと訳す。 生命保険関係年表
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
- 【外国保険会社渡来】此年十一月横浜にて創刊の英字新聞の初号にインピーリアル・火災保険会社の営業広告見ゆ。 生命保険関係年表
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
- 【五車韻府再版】比年の上海及倫敦版に『保船』『保家』『保商』なる語見ゆ。 生命保険関係年表
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
- 【西洋事情初篇出版】同書に「火災請負」「海上請負」なる語見ゆ。【英華字典出版】上海出版の同書に『保険』「保険会」「保険公司」等々の語見ゆ。 生命保険関係年表
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 【西洋旅案内出版】同書に「人の生涯の請合」「火災請合」「海上の請合」等の語見ゆ。【西洋事情外篇出版】同書に『フレンドリ・ソサイチ』を紹介し「相対扶助の法」といふ。 生命保険関係年表
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
5月 山本覚馬述「管見」(写本)商律中、海上、運送及び人の死亡請負の必要を説く 生命保険関係年表
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
2月 新塾月誌に保険の語見ゆ、海上請合証書の訳文を載す 生命保険関係年表
- 是年、吉田屋表二郎述『蚕種商法』出版、海上請合につき説明 生命保険関係年表
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 是年、加藤祐一著『交易心得草後編』出版。海上請合を詳説○村田樞著『西洋聞見録』後篇出版、保認会社《ウケオヒナカマ》の説明見ゆ 生命保険関係年表
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月 「新貨条例」公布、うちに危難請負料の語見ゆ○何礼之訳『英国賦税要覧』中に『火災請負の税』なる語見ゆ 生命保険関係年表
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月 瓜生三寅訳述『合衆国政治小学』出版、同書に『人身』又は「人命危難請合会社」なる語見ゆ 生命保険関係年表
5月 毎週新聞第十一号附録に「保険」の語見ゆ○何礼之著『世渡の杖』に保険会社《ウケオヒナカマ》の語見ゆ○杉亨二訳『交易通史』刊行、書中海上保険の語見ゆ 生命保険関係年表
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