※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月10日 | 〔日本銀行開業〕 | ||
12月 | 神戸に大阪支店分局を設置(神戸栄町商議社内) | ||
- | この年 資本金十万円の内、四万円は前年中に領収し残額六万円は本年中に全部払込済となる | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 本店移転(東京日本橋区南茅場町二〇) | ||
1月28日 | 第二次株主総会、定款第二条の変更を決議、水野忠精取締に就任 | ||
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 第三次株主総会、取締外山修造辞任、森弥三郎取締に就任 | ||
5月26日 | 〔兌換銀行券条例公布、七月一日施行〕 | ||
6月30日 | 当分の間子女教育資の新契約停止 | ||
6月 | 生命保険統計表を東京府庁に提出 | ||
- | この年〔不況その極に達し会社銀行の倒産続出〕 | ||
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 第四次株主総会、定款第九条の変更その他を決議、取締中村道太・水野忠精・森弥三郎・杉本正徳・朝田又七、検査掛早矢仕有的辞任、浜野定四郎取締に、朝田又七検査掛に就任 | ||
2月5日 | 神戸分局を廃止し、大阪支店に事務引継 | ||
5月9日 | 〔日本銀行初めて兌換銀行券発行〕 | ||
5月25日 | 定款第九条の変更申請却下 | ||
7月9日 | 創業満四年に当り第一期営業上の損益精算 | ||
7月23日 | 取締会にて右報告[第一期営業上の損益精算]承認を決議、定款第四六条により利付保険契約に対し第一回利益分配を行う | ||
11月3日 | 石川島造船所全員当社と生保契約締結 | ||
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 不換紙幣の正貨兌換開始 | ||
1月25日 | 第五次株主総会 | ||
6月4日 | 第一国立銀行全役員当社と生保契約締結 |