"浜口雄幸"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | 中国における抗日運動の激化、不戦条約問題の紛糾、共産党取締り(4.16事件)、疑獄・汚職事件の続出など、内外政策の難問に直面した田中内閣は、7月張作霖爆殺事件の事後処理の問題から退陣、7月2日民政党浜口雄幸内閣が成立した。同内閣は多年の慢性的不況を克服するため、国民に消費節約・貯蓄奨励を説いて緊縮財政の確立をはかるとともに産業合理化審議会を設け、金輸出解禁を決めるなど日本経済立て直しに努めた。 | 一般事項 |
昭和5年(1930) | 11月14日 | 内閣総理大臣浜口雄幸、東京駅列車出発ホーム中央階段において佐郷屋留雄に狙撃され重傷を負う | 主要事項 |
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